ハボックがこの北の大地に訪れた切っ掛けは、収賄容疑で捜査を受けた官僚の自宅にて発見された十数枚の写真にある。
一人の兵士が複数の人間に陵辱されている卑劣極まりない写真であった。
それらに映った被虐者は同一人物であるようだが後姿や口許までしか収まっておらず、
何者であるかを特定するには至らなかったらしい。
それをハボックに知らせたのは軍法会議所へと出戻りしたかつての同僚、ヴァトー・ファルマンであった。
数枚に映ったブーツ留めや、軍支給の厚手のコート、
そして、被虐者の均整の取れた身体と細く長い手足に既視感と強い不安を覚えたのだという。

ヴァトー・ファルマンはマース・ヒューズの元部下である。
何があり何を見ようとマスタングの力になれと送り出された人間だ。
マスタング組を構成した最後のパーツでもあった。
彼と仕事を共にした時間は他のメンバーと比べて短いが、
稀に見る極端な性格であった彼は今だマース・ヒューズの言いつけ通りに自身をマスタングの部下と位置づけていて、
マース・ヒューズが殉職者である以上、その命令が永遠なのであろう事が伺える。


仕事からの帰途で懐かしい姿に敬礼を受けた時は、
軍部の改革後プライベートで会うのはその日が初めてであったから大層驚いたのだ。
連れ立ったバーでのオーダーの後、世間話も一切なく単刀直入に提示された代物が件の写真の内の数枚であった。
初めは嫌悪感からハボックでさえも禄に写真を確認しようとせず、直ぐに視線を外して『これが?』と尋ね返したが、
一通りの説明を受けた後の写真に対する印象は全く変わり、
その肌も露になった『若々しい肢体』に眼を走らせ、
そうして、間違いないと確信した。
中の一枚は背後から犯される男の写真。
男は黒髪である。
北方へと旅立った日よりも少し伸びてはいると思った。
ボーイッシュな女のような、男臭さとは程遠い髪型の…。
悔しさにきつく眼を閉じたハボックにファルマンから労わりの言葉が掛かった。
そして、指示を、と。
老成した感のある物腰と年齢よりも年上に見られる外見ゆえに誤解されるが、彼の階級はハボックの一つ下である。
ホークアイ中尉に伝えたのかと問えば、
まだ、確信も持てなかったので…とファルマンは濁した。
彼女の性別を慮り躊躇っているようにも見えた。
マスタングの裏の事情に誰よりも精通していたのは彼女であったが、
ファルマンがそこまでの内情を知る前に
天敵とも言えた准将が錬金術師連続殺人事件の犯人、スカーによって殺害されており、
期を同じくして東部が未曾有の危機に晒された為に、
マスタングへのその手のアプローチはなりを潜めたので、
その辺りに疎くても仕方のないことであった。


写真の裏を取り、必要ならば自分が中尉に報告すると告げ、
ハボックはファルマンと分かれた。


そして、早急に北方行きを手配しマスタングの元に赴いたのである。
総帥代理を担い、またホークアイ中尉の伯父でもある大将からは、
意固地になった孫の代わりにマスタングを連れ戻してくれと再三依頼をされていたので
出張の申請は実に簡単に受理された。


…そういえば大将が大総統代理の席にとっくに飽きてしまっていることをマスタングに伝えようと思っていたのに。

−−忘れていたな…。

口許を開いては落ちかけた煙草を挟み込む唇の動きをぼんやりと繰り返す。
老獅子とかつての直属の部下以外の人間は何時どのような動きを見せても可笑しくはない。
マスタングは人に蔑まされる類の方法すら選んでのし上がっていたのだ。

ただ、一刻も早く頂点に上り詰め、過去に自身の関わった『イシュバール殲滅戦』の様な悲惨な殺し合いを二度と繰り返させない為に。

しかし、彼のそんな我武者羅な駆け足を嘲るかのように、錬金術によって大量に人は死に、
もう『出世』などと悠長な事を言っていられなくなった彼は軍部を裏で操っていた前大総統暗殺の道を選択した。

勿論、成功した暗殺事件も表向きは悪事を暴かれ逆上した元大総統に対する正当防衛であったという筋書きで通っているが、
彼の出世欲を知る者達は半信半疑であったし、何より未だカリスマ性に富んだ前大総統を信望する者も多くいる。


大総統はマスタングに嵌められたのだと、そんな噂も流布しているのが現状であった。
大総統の椅子を空けたは良いがその強引さが仇となり、軍議に掛けられそうになっていたところを
パトロンである大総統代理の情けに縋って降格と北方左遷のみでしのいだのだと。


奴はまた軍を荒らしにくるぞと談笑していたのは、マスタングがかつて数度関係を持った者も混じるエリート集団であった。
中には彼が後見人を勤めていたエドワード・エルリックとその弟が引き起こした事件で
死者が出た事を表立てぬ代わりに身体を要求していた大佐の姿もある。

セントラルにて定期的に開かれる集会の後はその手の話題がそこかしこで取り沙汰されるのだ。

まァ、それならそれでせいぜい可愛がってやろうではないか。生意気な男だったがあちらの方は極上だったからな。
その時は寝首をかかれぬ様にお気をつけて…。


盛大に嗤う奴等に殴りかかりたくなる衝動を抑えるのにハボックはいつだって必死だった。


この手の醜悪な話題が持ち上がるのは今の軍を表立って束ねるには老獅子が老い過ぎてしまっているからだとハボックは思う。



皮肉にもマスタングの前大総統殺害が力による下克上の風潮を煽ってしまったことも否めない。



老獅子とて、危うい立ち位置にいるのだ。




最早、軍に彼の受け皿は無いのか。

マスタングの復活は絶望的に思えた。






『イシュバールの英雄』 『焔の錬金術師』
俊足で駆け抜け力尽きた彼を今度こそ飼い殺してやろうと願う輩は多い。
今回流出した猥褻写真はその願望の根強さなのだろう。
上層部では社交の一貫として取引されているのだという噂もファルマンより聞き及んでいた。
かつてロイ・マスタングを理解し支持した者も、反支持者の権力に取り込まれ始めていると聞く。
爽やかな笑顔で彼を擁護しながら、裏では彼を陵辱する猥談に花を咲かせる者もいる。
革命はなだらかに収束し元の形に戻りつつあった。
軍は未だ魔の巣窟なのだ。




味方は、限りなく少ない。










一人でできるだろうか…。




今にも雨だか雪だかを降らせてきそうな灰色の空模様にこれからのプランを組み立ててゆく。


建物に侵入して、番兵を殺し、戒めを解いて、朦朧とした意識の兵士を連れ国外へ逃亡…。



『ははは…』



無茶苦茶だ。



自分の世界がいかに狭かったか、今更になって思い知る。
革命の日以降、マスタング組は実質解散状態にあり、
結果としてハボックの拠り代は消失してしまった。


そこに居た者達だけをハボックは信頼していたのに、もう誰も頼れないのだ。
彼の存在を軍から抹消してしまうハボックの行為を皆が許してくれる筈も無いのだから。




誰もいない。



居場所の無かった昔と何も変ってはいなかった。







ホークアイ中尉の様に、今は待つしかないのだろうか。
彼の目覚めを。
あの心地よかった日々の再来を夢見ることしか…。







思考にすら途方も無いエネルギーを消費し、疲弊した身体の欲求のまま、眼を閉じシートへと身を預けた。




その疲れた姿に絶望が滲んでいる事などハボック自身は気づいていない。
全てはあくまで日常の連続の内であった。