船を食料の危機が襲った時、一番初めに痩せて行くのはコックであるサンジだ。

と言うよりも、皆が事情を知る頃には明らかに一人栄養不良に陥っていて、

オレが船に乗って初めてのソレがやってきた時、

万全とは言い難くなっていたサンジの様子に船医として事情を聞いたのに、

少し寝不足なんだ。と、平気な態度で返されて、

オレはおかと違いに気をつけなきゃ駄目だなんて説教して。






















「食料がヤバイの。ルフィ他、摘み食い絶対禁止。

出された量で我慢すること。

黙って手を付けたりしたら、海水付けにするから、そのつもりで」




海水付け、と言った時のナミの目が本気で恐くて少しちびった。

皆の集まったラウンジに微妙な雰囲気が流れる。

テーブルに手を着き威圧するナミ。

納得顔でコーヒーを飲む新顔のロビン。

神妙な顔で『仕方がねぇなと』ぶつぶつ呟いているウソップ

何を考えているのか、考えてもいないのか、てんで無関心なゾロ。

余程ショックだったのか、一人テーブルで伸びているルフィ。

故郷にいた頃苛められて食料を横取りされた事がある。

冷たい雪の中、腹を空かせて彷徨った。

だから、多少なら平気だ。飢えだってきっと慣れる。

















そう思った日から40日目。















飢えで一番辛いのは、空っぽの胃袋より、心に余裕が無くなる事だった。

お腹がの虫が鳴って胃が収縮を繰り返す度にイライラが募って小競り合いが起きる。

特にルフィは無意識に手が動いてしまうようで、他のクルーの食べ物を掴んでしまう事を繰り返した為、

仕方なく部屋の隅の空箱に皿を置いて食事を摂る。

仲間外れみたいで可哀相とは思ったけど、一番被害に遭っていたのがオレだから少し安心した。

でも、いい気分はしない。

嫌な感じに沈むオレの帽子をぽんとサンジが叩いてくれた。

気にすんなって。

そうよ。船のルールを守れない船長なんて空き箱で充分!

一日一食の食事で痩せたナミが久しぶりに笑ってくれた。

凪が続いて進まない船に苛立ってたから、ちょっと安心した。

クルーを気遣うナミさん…!何て優しいんだ!やっぱり天使だ!女神だ!!

こんな時でもやっぱりサンジはサンジ。

でも、今度はちょっとだけ不安なんだ。サンジを見上げるのが不安。

指が細い。

襟から覗く首も痩せたね。

体温が下がっているんじやないか?


きっちり着込んだ服から覗く肌の何処もかしこも白いよ。


青白い。






サンジのやつれて行く顔を見るのが恐くなって、何時しか視線を逸らすようになっていた。


サンジの顔がまともに見られない。


医者失格だね。




でも、ねぇ、サンジ。






























サンジは何時からご飯、食べてないの?





















堪えきれなくなったのはオレの方だった。





その時、何で泣き付いた相手がゾロだったのかは分からない。

この非常事態の影響が少なく見えるその強靭さに縋ったのかもしれない。


大事な水分を涙なんかで流して、いけないことだって分かってたのに、

後方甲板の柵に凭れたゾロに跨って、胸に鼻水を擦り付ける勢いは止まらなかった。


ゾロは小さく帽子を叩いて、一言「それが奴の性分だ」と。


サンジは馬鹿だ。

サンジは馬鹿だ。

サンジは馬鹿だ。


クルーの悪口を言うオレはサイテーだ。

悪口だった。

だってオレは除け者にされた気がしたんだ。

頼って欲しかった。



サンジに他の誰よりも先に打ち明けて貰いたかったんだ。























傲慢な。






























「でな、その機を逃す事無くこのキャプテーンウソップ様の超ど級ハンマーが巨大人食いトカゲの頭にヒットし、長く辛い戦いは遂に…」

口から先に生まれてきたみたいなウソップはこんな時でも良く喋る。

中央甲板に座り込む骨の目立つ姿はそれでも身振り手振りが大袈裟だ。




鬱陶しいくらいに。





辛いのは、余裕が無くなる事。

ウソップの冗談に苛立つ事。

その軽口は彼の日常であり、非常時においては支えにもなっているのだと分かっているのに。



全部、白々しく聞こえてしまう。




オレは居たたまれなくなって甲板を離れた。

後ろでウソップがこれからが話のクライマックスなのにとブー垂れてる。

ゴメン。今はとてもじゃ無いけど聞いていられない。


船縁に凭れ掛かりつつホラ話に付き合いながら煙草を燻らせていたサンジが続きを促したのでウソップの調子は直ぐに戻った。
手を掛けられる食料が無いからか、最近のサンジはウソップと一緒に居る事が多い。

満足にゴハンの食べられないルフィはフィギュアヘッドの根元で死んだようにだれているし、
(海への落下等で無駄な体力消費を招く恐れのある『特等席』に座る事を禁止されてしまっているから余計に落ち込んでいる)

ゾロは暇があれば寝ているし、
(流石に鍛錬の時間は減った)

ロビンはより一層活字に没頭し、

ナミも栄養不足で集中力が続かないのか最近は海図より雑誌を開いている事が多い。


皆、ウソップに構ってやれる余裕が無いんだ。



オレも含めて。



だから、サンジが聞き役を担ってくれるのは有難かった。



「俺の話の方がスゲェぞ。知ってるか?雪国の女の肌が白いのは、雪の色が移ったからなんだぜ」

…そんな訳ないじゃん、サンジ。

「んな訳ねーだろ。ビビだって白かったじゃねぇか」

「サンジはバカだ…」

「うっせぇクソゴム!大人しく寝てろ!!あのなぁ、ウソップ。ビビちゃんはお姫様だぜ?
綺麗な物に囲まれて大事に育てられたんだ。あの美しいお肌はその賜物さ。
きっと夜は純白のネグリジェで真白なクッションやらシーツやらに埋もれてよ。…くあーっ!良いねぇ!!」

うん、バカだ。んで、エロだ。




同じレベルの話が飛び交う空間から離れて船尾楼への階段を昇ると、
ロビンがみかん畑の側の柵に肘を付きながら何かをじっと見下ろしている事に気付いた。
左手のカップを機械的に口許へと運ぶが視線は固定されたままだ。
その位置は多分馬鹿話に華を咲かせる二人だと思う。けれど、どちらを見ているのかまでは分からなかった。
少し思い詰めた物を感じたから、物見では無いのだろうと推測できたのだけれど。

「どうかしたか?ロビン」

尋ねてみたけれど、応えは無かった。
少し落ち込んで通り過ぎる間際、彼女の落ち着いた声がオレの歩みを止めた。


「あそこだけが、何時もと変わりないの」


振り向いてみても、彼女は同じ姿勢のまま。言葉だけがオレに向けられている。


「彼を見ていると、何でもない日常にいるみたい。危機的状況を忘れられる」


また一口、カップの中身を口に含んで。


「空腹や貧困は今まで幾度も経験してきたたけれど、逃げ場が無いというのは恐ろしいものね。
海の上ではどうする事もできないじゃない?略奪も降参も。…打開策が無い。
でも、コックさんを見ているとそんな恐怖が紛れるの」


サンジ…。


ロビンの足元まで寄って柵の支柱の隙間から甲板を見下ろしてみると、直ぐにサンジの金色の髪が目に入った。
吸っていた煙草の煙を吐き出す仕草。ツッコミを入れる時のちょっと凶悪な表情。鼻の頭に皺を作って歯を剥き出しにするのは照れ隠し。

ウソップと二人で馬鹿笑いしているシーンに強い既視感を覚える。



「不思議な子…」



ロビンの呟きがふわりと。
オレの意識は目が眩む程の日常に持っていかれてしまっていたから、
それは彼女一人だけの言葉で掻き消えてしまった。







………サンジ………。







どうしても側に居たくなって、駆け足で逃げて来た道筋を戻った。
ちょっと視界が滲んでいるのはこの際無視しよう。







辛い。恐い。このまま皆干乾びて死んでしまうかもしれない。
何より、こんな嫌な思いばかりを詰め込んで逝きたくない。












サンジ…。


















皆が救ってくれたオレで居たい。
だから、やっぱり此処に居させて。
















「おお!俺様の武勇伝を聞きに戻って来たか、チョッパー!よしよし、じゃあとっておきのをしてあげよう」

潤んだ目には気付かなかったみたいで安心した。

お手柔らかに、ウソップ。
逃げ出したりしてゴメン。




恥ずかしさと申し訳なさで帽子の縁を握ったオレの様子をさして気に留めるでもなく、サンジは飄々と会話を紡いだ。


「さっきもとっておきとか言ってたじゃねぇか。幾つあんだよ」

「そりゃあ、俺様のレベルになると全てにおいてとっておきの前ふりが相応しい…」

「よし、チョッパー。これからこいつの取っておきを一つずつ潰していこうぜ。幾つあるか解明してやろう」

「うん。内容がダブったら勿論カウント無しでね」

「ムックァー!お前ら俺の『全て』をナメんなぁ!その挑戦受けて立ってやる!!世界レベルだぞ!いや、宇宙レベルだ!!!」

「わかったわかった。始めようぜ。あ、巨大トカゲと巨大ウミガメの話は抜きな。もう聞いたから」

「うん。妖精の話もナシだぞ。三種類くらい話したことあるからな」

「え、あ、過去の話もカウントされちゃうんですか…」

「これで三つ…って、チョッパー、妖精の話ってなんだ」

「妖精に出逢って、森の危機を救ったんだよね。ウソップ?」

「ま、まぁな」

「特別に許可する。まずその話を聞かせろ」

(あれ?もしかしてサンジ、妖精信じてる?)

「………」

(あ、ウソップのこの哀みたっぷりな顔。やっぱ妖精って居ないんだ…ガックリ)


「サンジはバカだあーぁー…」


「うっせえぞクソゴ…ぎゃー!テメェ首伸びてる!落ちてる!キモイわ!!」

「わーっルフィ!」



船首甲板の柵から落ちたルフィの首が悲鳴をあげるサンジを目指して顎の動きだけで這ってくるのが恐かったけど笑っちゃった。



その後大騒ぎにナミがクリマタクト片手に駆けつけて(オレら馬鹿一式って殴られた)、
昼寝を邪魔されたゾロも不機嫌そうに寄ってきた。ロビンは船尾楼から微笑んでいる。









それから一時間が経ち、結局甲板に残ったのは最初のメンバー三人で、
相変わらずウソップのお喋りは続いていた。


元々貧相だったから、蓄えが少なかった分今の状態が一番辛いのはウソップなんだと思う。


その口を封じてしまったら肉体を支えている心がもたないだろうね。



そんなウソップの側に初めから居たのはサンジで、取り巻いていたのは日常の景色だった。




































笑顔と何の変哲もない青空。