上司に肩を抱かれて夜の街を歩いていたのは、確かに出身高の後輩であるサンジだった。元は弟の友人で二歳離れた彼との学園生活は一年にも満たない短い間でしかなかったが、元々ウマが合ったのか授業をふけては訪れた屋上で同じく煙草を吹かせてフェンスに寄り掛かる彼と馬鹿な話題に華を咲かせていた。屈託無く笑った顔がすっきりとした面立ちを幼くみせていて、煙草を吸い不良ぶって見せていても健全な精神が如実に表れる少年だった。そんな彼がある日突然目の前から消えた。事件を起こして退学になったらしく、携帯も繋がらず、弟と共に焦燥と不審を募らせているうちにある噂が耳に届いた。

    『サンジは売春していて補導された』

馬鹿馬鹿しい話だ。プライドが高く徹底したフェミニストだった彼がそんな道の踏み外し方をする筈が無い。けれど、反発する思考に追い討ちを掛ける方向に噂は形を変えていった。

    『本当は男相手に売春して補導されたんだ』

余りの下らなさに嫌気が差し強く耳を塞いだが、それでも彼が退学したことは紛れも無い事実で。そして、誰もその本当の理由を知らない。担任教師ですら、家庭の事情で住所が特定できず連絡がとれないのだと頭を抱える始末。まさに八方塞だったのだ。
自分も、弟も。良き友人であったと信じていたのに実際に彼について知っていたことは驚くほどに少なかった。

彼は孤独だったのか。

妻帯者でもある上司の身持ちをそれとなく批難し、口止め料として聞きだした番号はデリバリーヘルスの斡旋所のものだった。「一番高い金髪を」それで彼に繋がると、それまで苦虫を潰していた上司が少し嫌な笑い方をした。

ホテルにチェックインし、シャワーを済ませた体にローブを纏って『ヘルス嬢』の到着を待つ。きっと彼は驚くだろう。学生時代の知り合いが客として現れるなんて思いもすまい。こんな形での再会をセッティングする自分に嫌悪が湧かない訳じゃないけれど、あの夜見た横顔、後姿に不思議なくらい心が傾倒して抑えられなかった。
青春時代に胸を掻き毟るほどの喪失感を植えつけた存在が、上司に肩を抱かれて現れ、しかも、金銭を代償に快楽を与える仕事に従事しているなんて。
彼は自分を見てどんな顔をするだろううか。
悪戯がばれた子供のみたいな表情で笑うかもしれない。
当時の姿を重ね、変らぬままの彼を脳裏に描いた。
会えなかった寂しさと手放された悔しさを埋め合わせる為なら道徳心に目を瞑っても構わないと思うくらい、心が彼を求めていた。
当時もこんな風に彼を想っていただろうかと回想してみたがわからなかった。


そして、ドアが乾いたノック音を響かせた。

一つ息を吐き、覚悟を決めて扉を開く。
廊下に佇む彼の瞳が零れ落ちそうなくらいに見開かれた。


「エース…」


あの頃よりも丸みの削げた鋭利な美貌に幼さを宿した彼。

その瞬間、再会できた事がただただ嬉しかった。




昔を彷彿させた瞳はすぐに驚きの色を捨て、
招きに応じて部屋へと身を滑り込ませた。
黒のスプリングコートに黒のサマーセーター。黒のパンツ。
細身の彼のシルエットは酷く殺伐としていた。
準備万端とばかりのバスローブ姿にちらりと視線を走らせた彼は何も語らずにそれらを脱ぎ捨ててゆく。

―――俺が目の前にいるのに。

「サンちゃん…」

昔そう呼んでいた。子供っぽかった彼を揶揄するように、親しみを込めて。
ボトムのチャックに掛けていた手を押え、俯き加減だった彼の面を覗き込んだ。

「俺の事、覚えてるよね?」

名前を呼んでくれた。
驚いてくれた。

「なのに、何も言わないの?」

―――君をヘルス嬢として読んだんだ。思い切り蹴られたっていいんだ。からかって怒らせたあの頃みたいに。

気まずく目を逸らすでもなく、絵の具で分厚く塗り固めたような青がただ無表情にこちらを見ている。
こんな顔をする子じゃなかった。
いつだってYesかNoかしかなかったのに。
聞きたいことは沢山あったのに、どんな風に会話をすればいいのかわからなくなる。
そして、もしかしたら当時のままの彼と『恋人の真似事』ができるかもしれないなんて期待して、こんな挑発的な様相で迎えた自分の軽率さが嫌になった。

「言葉は苦手なんだ。でもその分サービスするから」

彼は制止を押し切るようにボトムを脱いで下着姿になった。










真白な体に緩やかな陰が落ちて、その甘やかさに視線を奪われた。
学生時代、スポーツが得意だった彼は、夏場には短パンの裾から綺麗な筋を纏った両脚を惜しげもなくさらしていたが、今はあの頃よりも幾分柔らかな肉が全身を覆っているように見える。けれど、全体的な厚みに変化は見られず、きっと筋肉量が落ちたのだろうと推測する。女性ダンサーの体に近いかもしれない。
後悔する側から小さな熱は生まれ、腹の奥底でちろちろと揺らめく。

彼の手に誘われるまま、ベッドへと上がり身を横たえると、身を乗り上げた彼が膝立ちになって見下ろしてきた。

何の感情も湛えない人形めいた面に不安が掻きたてられる。
こんな状況になっても、まだ迷っていたのだ。
あの日差しの強い屋上で、金糸をたなびかせながら太陽にも負けない眩しい笑顔を見せていた彼と、こんな事をしてしまっていいのかと。
今でも『サンジ』という人間はあの底抜けに明るい少年だけだと思う。
では、この目の前にいる婀娜めいた青年は?

もう一度、名前を呼んで欲しい。

過去との繋がりがどうしても欲しかった。

「サン…」

声音で縋りつくのとバスローブが肌蹴けるのは同時だった。
拒絶されたのだ。多分、その認識は間違っていない。

痛む胸の真上に柔らかな唇がそっと押し付けられた。
   彼がとても残酷な人に思えた。