「いやぁ、上手いものです。素晴らしい」

骨と歯だけの顔をカタカタ鳴らして、船の縁に腰を落ち着けジャガイモの皮むきをする料理人をギターを片手にした骸骨が誉めそやした。

「コックの基本だ。凄くも何ともねぇよ」

煙草をくゆらせながらクルクルと野菜の皮を削いでゆく料理人の口調は言葉とは裏腹に満更でもなさそうだ。
褒められるのは単純に嬉しいのだろう。

「いやいや、小さなナイフで何とも器用に…。この皮はどうするのですか?やっぱりゴミですか?」

指先で摘む独特な仕草で骸骨がボールに溜め込まれた皮を一枚陽に透かす。

「アホ、んな勿体無いマネできるか。そいつは刻んで野郎共のポテトサラダに混ぜんだ」
「ほぉほぉ、嬉しいですねぇ。食材の一辺まで無駄なく食卓に上るなんてとても嬉しいですよ。私は」
「珍しいな。切れッ端の嵩増しで喜ぶなんてルフィくらいかと思ってたぜ」

食い扶持が増える分には腐り掛けの食材だろうが根野菜の芽だろうが一向に気にしない船長を思いひそやかな笑みを漏らすコックに、何時に無く陽気な骸骨らしからぬ妙に静かな声音でブルックは言った。

「飢餓状態で何十年も彷徨いましたから、食べ物への執着は人一倍なのです」

軽口の合間も作業に向かっていた料理人の意識が初めて逸れてひょろりとしたタキシード姿の骸骨を見上げた。
派手なアフロの中心に鎮座するしゃれこうべの二つの大きな穴からは表情は伺えないが、出会った日の身の上話しを聞いた時、その苦しみを理解できてしまう己に密かに息を呑んだ記憶はつい最近のものだ。
数十年の年月の間に麻痺していったのであろう飢えの苦痛、当り前のものを得られぬ悲しみが今尚夢の様にふわふわとその双穴の奥で漂っているように料理人には思える。
故にあの話を聞かされた時からこの不幸を撥ね付けて御気楽に振舞う骸骨が苦手だったのだ。
死ぬことも出来ないなんて、自分だったら絶対に嫌だと料理人は思う。
誰も居なくなるなんて、とても耐えられそうにない。

「どうかしましたか?」

眇める眼も持たぬのに、いつしか俯いてしまった料理人の金色の髪を眩しいと感じて骸骨は戸惑った。

「いや、早く剥いちまわねぇと…」

そんな言い訳染みた言葉の後、料理人は口を噤んでしまった。
しばし、刃物がジャガイモの身を滑る小さな音だけが余韻の如く繰り返される。
穏やかで優しく、しかしどこか寂然とした時間である。
不遜に胸を張るかチンピラ紛いの猫背で睨みつけるかのどちらかであった料理人の肩が痩せている事に骸骨は初めて気付いた。
横柄な言動を無くせば、華奢な身体つきだけがこの青年の印象となる。
脆さを伺わせる容姿と雰囲気を理由は分からずとも痛ましく思い、それを招いたのが己の言葉ならば謝らねばなるまいと骸骨は骨だけの腰を綺麗に折って謝罪した。

「湿っぽい話しをしてしまいました。申し訳ありません」

常に芝居がかった動作を好む骸骨がポーズを抜いて真摯に詫びる姿に、料理人ははっと顔を上げ慌ててしまう。

「いや、謝んなよ!アンタ何も悪いことしてねぇだろ」

そうだ、骸骨の言葉に湿度を持たせてしまったのは己だ。
弁明しながら咥えたフィルターを噛む。こんな風になる予感があったからこの骸骨に苦手意識を持っていたのだ。…きっと。

「気にさせちまったな。すまねぇ」

ふぅと煙を吐き出し、料理人は目を閉じた。
この船への乗船をしつこく勧誘してきた船長に、あるきっかけで怒鳴られたことがある。
簡単に死のうとするのは弱ぇ奴のすることだ、と。
それでも、今尚生への執着が希薄になる瞬間があることを否定できず、そういう人間である料理人にとって骨だけになりながらも人生を謳歌する楽士は矢張り眩しい。
この骸骨がやってきてからウズウズと待ちわびる彼の前に料理を並べるのが好きになったことも否めない。
甘えてしまいそうで、そういう自分に反吐が出るのだ。
また刃物の音だけが聞こえ始め、骸骨はそのまま近くの柵に寄り掛かる。
恐らくこれもまたこの青年の一面なのだろうと骸骨は考えたのだ。
脳味噌も無い癖に…。
自嘲しつつ唯一の所有物である愛用のギターを抱え上げる。
この船の乗組員にはコックや航海士などそれぞれ固有の役割があり、歌って踊れるのならお前は音楽家だと船長直々に命ぜられた折、一つだけ好きな楽器を選ぶことを許され仕入れに立ち寄った島の質屋で見つけた物だ。
五十年以上昔に前に作られずっと民家のクローゼットに眠っていたそれは、今は廃業してしまったメーカーの偶然にもかつて愛用していた型と同じの物だった。まるで共鳴を起こしたかのように吸い寄せられて手にしたギターを見て、アルバイトらしき若い男は「お客さん運が良いね。それ今朝入荷したばっかりですよ。何でも昔はちょっと名の知れていた歌手の所有物だったけど、その人が引退してもう何十年も仕舞いっ放しだったみたいで。…まぁ、調律とかは良く分かんないけど、昔その歌手のファンだった人が何度か足止めてるから、買い時だと思いますよ」と事実であるのか判別の付かない売り文句を並べていたが、既にブルックの心は決まっていた。
プレミアが付いて少々値の張ったそれを、仕事道具の購入資金にお財布番である航海士からの借金を上乗せして手に入れた代物だった。

「貴方はノースの生まれだそうですね。ロビンさんから聞いた事があります」

一曲弾いてみようと脳裏で北方の音楽をなぞる骸骨に、胡坐を掻いた料理人はナイフの手を緩めずに答えた。

「ああ。でも育ちはイーストなんだ。記憶も殆どそっちだな」

ノースについては触れるなと、言外に釘を刺された気がして骨の頭部が傾ぐ。

「では何かリクエストはありますか?昔の歌謡曲や民謡であれば少しは知っています」
「うーん、そうだなぁ…って此処でおっぱじめる気かよ。餓鬼共が寄って来たら煩ぇぞ」

料理人の独眼が挑発的に睨み付けてくるのを骸骨は心から歓迎した。
やはりこうして不遜に振舞ってくれた方がいい。

「彼らの騒ぎようが無い曲にしましょうか。『海をみながら』なんてどうですか?」
「ああ、聞いたことあるな…。うん、それなら知ってる」

遠海漁に出た恋人の帰りを待ちわびる女の静かな歌だ。
今日来る。明日来る。異国のドレスと指輪をお土産にきっと其処まで来ている。そんな心情を手繰りながら、結局は恋人が帰還したのかどうかうやむやなまま終わってしまう何とも思わせぶりな曲なのだが、料理人はそんなアンハッピーの可能性も諮詢させる内容が少し気に入っていたし、ディナータイムのバックグラウンドミュージックに相応しいメロディアスな旋律もまた好むところであった。
満足気な料理人の表情に骸骨は早速弦を弾く。
まるで穏やかな海と同化したかの様に、二人の空間だけが浮き足立つ船上から優しく切り取られた。