その日の午後三時、レイドを筆頭にガゼル、エドス、リプレのメンバーはセシルを迎えて自宅の居間のテーブルを囲んでいた。目的は優雅にお茶を楽しむ為でも、魔王に立ち向かった者同志の親交でも無い。

「それじゃ、やっぱり…」

悲壮感の滲んだ声を上げたのはチーム一捻くれた性質を持つガゼルだった。いつもの苛立ち含んだ感が成りを潜めている辺りに、彼等が問題にし話し合っている事柄の深刻さが伺える。セシルもまた秀麗な眉を潜めて不本意な言葉を吐いた。

「ええ。現代の医学にソルの病の進行を止める術はないわ。長く続いた高熱の影響もあるだろうけれど、脳萎縮は召喚師には多い病気なの。何百年も昔から存在するのに、魔術でも薬でもストラでも治せないってことしかわかっていない」

医療に従事していたセシルが八方手を尽くして手に入れた情報は、無意味で残酷なものだった。

事の発端は二週間前に遡る。
悪しき者と魔王からこの世界−リィンバウム−を守り抜き、常に戦いの中心にいた異邦人トウヤが己の生まれた世界に帰ってから三週間が経った頃、二三日風邪に似た症状で体調を崩していたソルが突然高熱を出して倒れた。医者の治療を受けたが熱は下がらず、酷くうなされ、時には意識を失い。リプレを筆頭にガゼルやレイド等が看病を続け、五日目の朝、漸くソルの意識は浮上してその後順調に回復していったのだが、その時から彼の行動に異常が現れた。
家中を歩き回り、トウヤを探すようになったのだ。
トウヤはもう居ないと伝えると、思い出したように苦しげな表情を見せた。そのことを医者に相談してみたところ、一時的な衰弱と高熱の影響で記憶が混乱しているのだろうと返され、メンバー達もまたその程度であろうと信じて疑わなかったのだが、その内トウヤの帰還の事実を直ぐには思い出せなくなり、遂には仲間達の言葉を信じなくなった。
時には錯乱し、部屋に閉じこもるようになり。
意識が正常に戻ることもあるが、数時間後にはまたぼんやりと廊下を彷徨っている。幼い子供達は彼の異様さに怯えて近寄ることも出来なくなってしまった。見かねたレイドによって彼は連れ出され、街で唯一の総合病院でもう一度詳しい検査を受けたのだが、診断後、相談室に通されたレイドは、神妙な雰囲気でかたる医師に原因不明の大脳変性疾患だと告知された。左側頭葉と前頭葉に萎縮と細胞の変質が見られ、記憶障害はこれから更に進行し、人格障害や言語障害も伴うだろうと。
その時待合室で付き添ってきたリプレと共にレイドを待っていたソルは落ち着かない様子で早く家に帰りたいと漏らしていた。まるで、他人の用事で待ち伏せを喰らっているかのように。発熱から八日目、確実に病は進行していた。

「彼の症状はまだ軽いわ。徘徊も屋内に留まっているし。でも、進行は思ったより早い。多分、自分が誰で何をしているのか、今居る場所がどこなのか…そういうことが分からなくなるのも遠くはない。そうなったら…貴方達だけで彼を支えるのは苦しいかもしれない」

セシルは一度テーブルの上で組み直した指の間接じっと見つめながら言った。その言葉にガゼルが敏感に反応する。

「何だよ、何が言いたいんだ、あんた」

「施設に入れることも、考えておいた方が良いわ」

「ふざけんな!奴を放り出せっててか!?」

「そうじゃないわ。彼が異常行動を取った時は、力ずくで押さえ込んで彼を拘束しなければならないの。彼を思っていればいるだけ、それは辛いことよ。哀れむこともあしらうこともできない。本人は敏感に普通でない空気を察してしまうもの。そして、もっと孤独になる。…私はね」

多弁な語りに一つ息を漏らし、己を制してセシルは続けた。

「ケアが必要なのは、患者だけでは無いと思ってる。患者とその家族が互いを求めて労わり合える状況が重要だと思うの。看病疲れで磨り減っている姿より、笑顔で訪れる家族に生きる力を見出す患者もいる。勿論施設は手段の一つに過ぎないわ。だから、辛くなったらそういう道もあるって覚えておいてほしいの」

彼女は医者立場からの見解も踏まえて言い残し、帰って行った。後に残されたメンバーも一人二人と言葉少なに席を立つ。人情と不安の板挟み状態で誰もが浮かない表情をしている。最後に皆の思いを代弁して「それでも今は彼と上手くやっていく方法を考えていきたいと思う」とセシルに返したレイドもいつもの落ち着いた表情を保てないでいた。

「大丈夫よ、レイド」

背後から声を掛けられたレイドが振り返った先では、意思の固さを表すように口を結んだリプレが居間から差し込む光を背にじっと彼を見つめていた。

「ソルも、私達も、きっと大丈夫。もう誰も欠けたりしないわ」

そうでしょう?と確認を求めた少女が何を思って佇んでいるのか、レイドは敏感に察してきちんと向かい合った。

「ああ、そうだ。誰もいなくならない。ソルは我々の大切な家族だからな」

リプレは頷いた。そして、笑う。

そうだ。失くす訳にはいかないのだ

レイドもまた、小さく笑んだ。

想いが同調するのを感じて二人は漸く本来の笑顔を取り戻す。
二人にとってのソルという若者は特別な意味を持っていた。遠い世界で生きる、触れることも適わぬ存在が最後に言葉を交わした者であり、恐らく尤も深い愛情を注いでいた人間。その価値は計り知れない。彼を守り抜くことが使命だとすら二人には思える。
それは決してソル自体を軽視している訳ではなく、かの存在と同時期に彼等の前に現れたことも手伝って漠然とした付加価値を見出した結果であった。

ソルは、トウヤの忘れ形見みたいなものだから

確認しあうように、レイドとリプレは頷いた。





                                           end