好きと伝えた訳ではないし、成るようになれば良いとだけしか考えていなかったから、
こんな風に傷付くのはおかと違いなのだけれど。




君が離れてしまう日が来るなんて思いもしなかった。





トウヤはキールの下がった眼を凝視した。

「僕は、一緒に行ってはいけないのかい?」

「うん」

どうして、淀みなくそんなことが言えるのだろう?

「これは僕が決めたことで、僕が一人で成すべき事だから。ずっと考えていたんだ。もし自由になれたら、真っ先に離れ離れになってしまった妹を探しに行こうって」

住居としている元孤児院の屋根にいつも通りに二人で上がり、落ちてきそうな程の大きくまん丸な月の下で何やら真摯な眼差しをしたキールに見つめられ何かと問えば。

生き別れた妹の居場所の検討がついた。はっきりした情報では無いけれど探しに行ってみる。少なくとも彼女が見付かるまでここには戻らないつもりだ…、と。

トウヤは少し驚いたけれど、すぐに納得して躊躇い無く僕も付き合うよと、その主張を当たり前のように返したのだ。

だから目の前の青年に首を振られて、一瞬思考が追いつかなかった。旅立ちを告げられた時よりもずっとずっと言葉を失って。

「…一人旅なんて、危険だよ。まだ無色の派閥の残党がそこいらに散っている筈だし、あの戦いで魔王が召喚された為に決定的なものとなった属性の均整の歪みは酷くなる一方なんだ。獣達の異常繁殖や凶暴化は食い止め切れていない。局地的に討伐しなければならない事態まで起きているというのに、君は…」

その反動か、思いつく限りの心配事をトウヤは一度に捲くし立てた。身を乗り出し、眉を寄せて、彼を思う胸の内を一杯に表そうとした。
出会った時から、どこか刺々しくしかし寂しげな青年をほっとけなくて何かと世話を焼いていたけれど、いつしか彼の側こそが自分の居るべき場所だと認識するようになった。その淡い思慕を明かしたことはない。
言葉など必要ないと感じるほどに、二人は共に在るとトウヤはそう信じ込んでいた。
けれどこれが現実で、実際にはキールの心中を図ることなど他人であるトウヤには不可能で。
キールは一人で考え一人で旅立つことを決めた。

「…一人で生きてゆけるようになりたいんだ」

キールは俯き、その表情を紺色の髪で隠してしまう。ずっと、誰かの力に縋って生きてきたからと呟いた声にトウヤは泣きたくなった。
青年の寂しい生い立ちを僅かながらも垣間見たトウヤには自立を計る彼を止める術は無い。小さな頃から大人達に囲まれ、命令される立場を当然のものとしてきた青年は今やっと全てから解放されて飛び立とうとしているのだ。己の気持ちを第一に考えることが漸く許された彼をどうして止められようか。

僕はもう、必要ないんだね?

その言葉を飲み込んで、トウヤも同じように下を向く。立てた両膝に額を押し付けて、冷える血流に身を震わせる。
一言、「そう」と返し。
面を上げて、一番奇麗と思ってもらえそうな笑顔をキールに向けた。

「わかった。それが君の望みなら好きにするといいさ。君はもう自由なんだ。僕にそれを止める権利は無いし、…でも。でもね、キール」

これだけは、どうか。

「君はいつでもここに帰ってきて良いんだから。妹を見つけてからでも良いから、いつかはちゃんと顔を出して?僕はずっとここで君の無事を想っているから。それだけを願っているから…」

僕は今、ちゃんと笑えてる?

紺色の瞳が苦しげに細められて、トウヤはそれに失敗しているのだと気付いた。表情を隠したくて俯けば、低く細い言葉が耳に届く。

「君の周りには良い人達が沢山いる。僕のことなんてすぐに忘れてしまうよ」

吐き出された言葉はなんて残酷な。キールはトウヤの気持ちに少しも気付かないばかりか、共に在った月日すら、軽々しく扱おうとしている。忘れるなどと簡単に言ってくれるとトウヤの朱色の唇が噛み締められた。

「忘れるもんか。僕はここにいるんだ。君に呼び出された世界の真ん中でずっと…」

君を待っている。

肝心な言葉は喉の奥に押し込んですうとキールの瞳を覗く。青年は目を見張って少し色を無くした表情を見せた。

トウヤの純粋な想いの音は、呪詛の気配を纏って青年の鼓膜を吹き抜けた。



                                                                           end