彼の身体は鉛のように重く、抱き起こそうとする僕の腕では支えきれず。
必死になって抱き寄せても、僕は彼ごと倒れ伏してしまう。…ソルは目を覚まさない。

茶色の髪に唇を寄せ、何度も囁いた。

ねぇ、起きて。
君にはナイフを握る両手と、大地を蹴れる両足があるんだよ。
何も恐れることはないんだから。

僕なんかの言葉では届かないのかもしれない。

ソルは目を覚まさない。


風が凪いだ。
少しも涼しくは無い風だ。荒れ果てた大地の真ん中で、僕は途方に暮れる。

僕だって、どこに行けば良いのかわからないのに。



三百六十度変わらぬ景色には太陽も月もなく、ただぼんやりと明るく、枯れ木は不気味なほどに黒かった。



まるで、世界の終わりだと思った。



僕らには信頼しあった仲間達がいて、正しくともそうでなくとも、一緒になって戦った。
僕を支えてくれた人達がいた。
支持してくれた人達がいた。僕の答えが正しくともそうでなくとも。
あの過ぎるほどに優しい人達はどこに行ってしまったのか。



いつから、僕はソルと二人きり。



初めから全てが夢であったかのように。



出会ったばかりの頃のソルは何もかもが張り詰めていて、全てを憎むかのように拒絶していた。誰も寄せ付けず、僕とて例外では無く。僕の側で行動することは本意ではないのだと、その態度は明白だった。

彼は孤独だった。僕のように独りであろうとした。ただ、僕のように外面を取り繕っていなかっただけ。

触れられる程近くにいながら、とてもとても遠かった僕ら。
それでも君の心は何時しか綻んで、最後の夜には互いを護ろうと誓い合うまでなったのに。
今また、僕の声は届かない。



僕はまた、一人になる。



嘗て、名前の無い世界で僕は僕の意思で一人を選んでいた。一人は良い。誰をも侵さず、誰からも侵されない。個は完全だった。例えそれが狭い世界での自論に過ぎなくともだ。一人一人がそうあれば、世界はもっと住み易くなるのにとすら考えていた。


今までなど無かったかのように、心の退行は容易い。全ては夢。夏が終わり秋が訪れ冬を迎えるように、みんな僕をすり抜けていっただけのこと。

温かかったスープは冷めるだろう。
薪の燃え尽きた部屋は凍えるほどに寒くなる。
初めから、何も無ければ良かったのに。
そうしたら、僕は。靴下もマフラーも手袋も外す必要は無かった。独りでなら、完璧だった。



歩き出してしまおうかと思った。



このまま、ソルを置いて。
温もりの残骸を置いて。



一人は良い。寂しさなど些細なものだ。












歩き出そう。立ち上がろう。剣を握る両手と大地を踏み締める両足を僕は持っている。













































































引き止める手は無いよ。



ソルの固い掌は地面に投げ出されたままだ。誰も僕の服すら握っていないんだ。




僕の脳から全身に張り巡らされたありとあらゆる神経に命令が下されているはずなんだ。

何が足りない?

糸が切れてしまったかのように、誰のものでも無い両脚。



出来ることが何も無いとわかった時、僕がしたことと言えば、やっぱり君の身体を抱き起こすことだけで。
もう一度そのしなる背中に腕を回して、僕自身と二人分の体重を抱え上げようとした。
背骨が折れて肩が外れてしまいそうになるまで。




どうしてそれが現実になるまで耐えて見せないのだろうか。
浮いた彼の身体は僕と一緒にまた地面に投げ出されてしまった。

頑張っているのに、これ以上ない程の力を搾り出している筈なのに。僕は泣きながらソルを抱き締めた。
体力の極限を示したと胸を張れる勇気などなかった。僕の脊髄は未だ僕の中心を通り、両肩の筋肉はソルを包み込みたい意思に従順に従って柔らかく伸びているのだから。僕は僕を壊せるほどにそれを望んではいないと突き付けるかの様だった。
それでもまた、抱き締める腕と半身を支える背筋に力を漲らせる。
抱き上げてどうしたいのかもわからないのに、それをやめられなかった。



きっと、共に歩く未来を夢見ていたんだ。
外面の内側の、醜い自己愛よりもずっとずっと深い不可侵の領域に祈りは芽吹いていたんだ。
誰の目にも触れず、ひっそりと、僕にすら気付かれず。水も光も届かない場所なのに、枯れずに残って。



温かいスープと、暖炉の火と、君の掌の固さを思い出して、僕はやっとそれらが何よりも欲しかったんだと知った。

















































力尽きた僕の髪を誰かが優しく撫でた。気のせいかもしれないし、もうどうでも良かった。

眠って良いのだと許されたようで、僕はゆっくりと目を閉じる。ほぅ、と一つ息をついた。頬を寄せた鼓動の無い胸に右手を添えて、彼の形と感触に安堵した。







遠くで雷鳴が轟く。人の叫びの様だと思ったが、閉じてしまった両目には何も映らなかった。