春風のすがすがしさに身を洗われるようだと悦に入りながら、キール・セルボルトは一人ベランダに立ちつつ手元のローズティーを口に含んだ。
一つしたの妹、セルボルト家の長女クラレットが淹れてくれた紅茶は絶品である。そして密かに、本当にぶっちゃけてしまうと、キールは美しい彼女に淡い恋心などを寄せていたりするので、手元で揺れる紅茶の輝きはそれはもう別格なのである。

幸せだなぁ…

垂れ目を更にだらしなく細めながら、ほぅと溜息などを吐くキールの耳に慌しく廊下を駆ける足音が届いたかと思うと、それはベランダと繋がるリビングの前で止まり、次いで一枚戸の扉が勢い良く開け放たれた。
上流階級の邸宅では珍しい騒々しさの源が、廊下と室の境で大きく肩で息をしていた。

「ちょっと聞いてよ、みんな!!」

「ああ?んだよ、うるせぇなあ。じゃじゃ馬」

ソファで寝そべりながら雑誌を読むという、これまた上流階級の人間には有るまじき行儀の悪さで寛いでいた次男のソルが、如何にも面倒臭そうな動きで背もたれに顎を乗せつつ背後のカシスを睨んだ。

「うるさいのはアンタよ、この筋肉馬鹿!そんなことより、あたし、大変なことを知っちゃったのよ!!」

減らず口と本来の目的と思われる前振りを一気に喋りきった少女、茶髪のショートとミニスカートが愛らしい末娘カシスは、高潮した頬をバラ色に染めながら再び大きく口を開く。

「お父様ったらあたし達四人の内の誰かを犠牲にして魔王を召喚するつもりらしいのよ!!!」

句読点も置かず、早口言葉ですか?くらいの勢いで怒り露に言い切った彼女は、次に大騒ぎになるであろう光景を想像して一人息を詰めた。

しかしである。

「…今更何言ってんの?お前」

馬鹿にしたように…、否むしろ疲労感たっぷりといった表情でソファに沈んだソルは、カシスからは死角になったクッションの上で身体を支えていた顎を撫でつつ再び雑誌に目を通し始めた。
キールもまた溜息を吐き、冷めかけた紅茶のカップを傾けている。

「え?え?」

周囲の余りの反応の薄さにカシスの大きな瞳がきょろきょろと彷徨っていると、ソルとは一つのテーブルを囲んだ右側のソファに腰を下ろしていたクラレットが、やんわりと聖母の如く微笑んだ。

「あらそんなの、私達は生まれた時から言いつけられていたわ」

「そうだぜ。つーか俺等、その為だけに育てられてんだろ」

「…カシスは知らなかったんだね。全く、父上はカシスにだけ甘いんだから」

個々の証言の衝撃的な事実に、カシスの心は風化寸前だった。正しく絶海の孤島に取り残された気分である。

「ちょっ…、ちょっとアンタ達、何でそんな平気な顔してられんの!?あたし達生贄にされちゃうんだよ?あたしは嫌よ、絶対にイヤ!!まだ素敵な恋もしてないし、素敵な恋人にも巡りあってないし、世界中のケーキ食べ尽くして無いし、それに、それにねぇ!」

ぎゃーぎゃーと喚くカシスの騒音を掻い潜って、右斜め前に鎮座するクラレットにテーブルの上を肘でにじり寄ったソルがぼそりと話しかけた。

「親父の奴、カシスは頭数に入れて無いんだぜ。きっと」

「そうね、お父様ったらカシスのことは目に入れても痛くないって程可愛がっているものね」

「いい気味だから、言わないでおこうぜ」

ひひひと悪童さながらに笑いながら、再びソルはクッションに身を横たえた。
頷く代わりににっこりと微笑んで見せるクラレットも、ソルが陰でのたまうところの『腹黒聖女』そのままである。(因みに聖女とは、その美しさと外ヅラの良さに騙された巷の若者達が定めた枕詞)
そんな一部始終を外野で眺めていたキールは、この日何度目かの溜息を漏らす。
恐らく世間がこの事実を知れば、キールを含めた四人の少年少女は悲惨な環境下で養育されていると取られることだろう。
しかし、特殊な環境下で育った人間はそれなりの図太さを身に着けるものである。
それが証拠に、事実を知ったばかりでうろたえまくる妹一人を除いた誰もが、自分だけは絶対に生き延びてやると確固たる信念を抱いて日々生きている。他人を蹴落すくらいは平気でやってのけるだけのサバイバル精神を初期値のアビリティーで既に備えているのだ。
その点で言えば、末娘のカシスが最も純粋にすくすくと育っていると言えるだろう。

できれば愛するクラレットもそのように成長して欲しかったと思わずに居られない。悲しいかな、彼女が笑いながら真っ先に自分を蹴落とすだろうことはキールもまた認識するところなのである。
惚れた弱みを握られていては手も足も出まい。

どこか達観した(…というよりは老成した)面持ちで仰ぎ見た空の青さがキールの胸に染み入った。








                                                                続いてしまうらしい…