「Trick or treat ! 」

いいものくれないといたずらしちゃうぞ!







ドアを開けたまま立ちすくむトウヤの前に子供が三人、行儀良く並んで手を出している。
一番年の多い少女フィズの頭部には紙でこしらえた黒い三角帽子。一つ下の少年アルバはシーツを頭からすっぽりと被り、クマのぬいぐるみを抱えた一番幼い少女ラミは手製のお面(恐らく怪物を模している)の下から恥ずかしそうに視線を投げかけている。

「これって…もしかして、ハロウィーン?」

まさか、リィンバウムにもあちらの世界と同じ風習があるなんて。
まじまじと見下ろす少年とも青年とも付かない微妙な年頃の柔らかい面に困惑と関心の表情を浮かべるトウヤに、フィズは更に小さな掌を突き出した。

「お兄ちゃんの世界ではハロウィーンって言うの?こっちでは万霊祭って言うわ。転生前の魂が彷徨い出る日なんですって。それが今日なの。そんなことよりも、ホラ、何か頂戴!こんな日に子供を待たせるなんて、お兄ちゃんもまだまだ勉強不足ね!」

いつもの高飛車な態度で少女がひらひらと掌を動かしねだる。その仕草は実に彼女らしく、トウヤはまいったなと呟きながら室内に戻り、何か適当な物は無いかと机の引き出しを漁った。裕福とは言えないこの孤児院ではただでさえ食べ物は貴重である上、食べる事に執着しない性質なので手元にお菓子を溜め込む習慣はないのだ。苦労して引き出しの奥を探り、漸く飴玉を四つ見つけ出した。少し溶けかけていて包装紙が中身に固く張り付いているが、文句を言われても手元にはこれしかないので仕方ないだろう。包装紙から中身が漏れでてないだけましだ。
お菓子を手に扉へと戻ってきたトウヤに、仕切り直しとばかりに子供達が声を張り上げる。

「Trick or treat ! 」
「こちらは何て答えれば良いのかな?」
「精霊達に感謝します、よ!」
「精霊達に感謝します」

赤い包装紙の飴玉がフィズの掌にちょんと乗る。
さぁ次はアルバだと青の包みを摘んだトウヤに、歳の割りに大人びた声質を持つ彼女の『待った』がかかった。

「足りないわよ、お兄ちゃん」
「悪いけど、今はこれしか…」

お持て成しが飴玉一つでは流石に納得されないかと頬を掻く少年の顔に指を突きつけたフィズは、

「万霊祭ではね、お菓子と一緒にキスとハグも送るのよ!」

と、勝ち誇った表情で言い放った。
自信に満ちたその態度は、発言に真実味と重要性を持たせるもので。
リィンバウムの事情にまだまだ疎いと自覚しているトウヤは少女の言葉を鵜呑みにする。

「そうなのかい?」
「そうよ!」
「え?そうなの?」
「おねぇちゃん…(嘘吐いてる…)」

聞いたことも無いという素振りを見せるアルバと、引っ込み思案で事実を言い出せないラミを他所に、フィズは堂々と頬を上向けた。つまりはキスやハグの風習はまるきりフィズの捏造なのである。そうと知るは騙る本人と幸か不幸か推察に長けてしまった彼女の実妹だけなのだが。

「じゃあ…」

こちらの世界に来てから多少のスキンシップにも免疫は出来たトウヤだが、それでも慣れ親しんだ他者との接触を避ける故郷の感覚は抜けきらない。少々照れながら少女の健康的な頬に唇を寄せ、そっと細い身体を抱きしめた。相手が子供で良かったと思う。同年代や大人では、まだ緊張が解けることは無い。
戸惑いながらの羽根が触れる程度のキスと優しい抱擁を受け、少女は唇を緩ませエヘヘと笑う。子供らしいふっくらとした頬がほんのりと染まって彼女の浮かれた心情そのままだった。
それを見ていたアルバが「ずるい!」と騒ぎたてつつ、ばたばたと被ったシーツを煽った。

「ずるいぞ、フィズ!兄ちゃん、俺も俺も!Trick or treat ! Trick or treat ! 」

良く焼けた元気な面がきらきらと輝やいて、頭部を覆っていた布は首の後ろに跳ね除けられる。
たかだか飴玉一つずつなのにやっぱり子供だな…などと素で思っているトウヤが、少女の拙い策略や、少年の憧れ混じりの淡い思慕に気付くことは随分先のことに思われる。ただ一人、最も歳若いラミだけが一部始終を見るにつけそっと溜息を吐いた。
飴玉を貰い、口付けを受け、抱擁の温もりを与えられたアルバは先のフィズとは違い、もじもじと俯き加減で忙しなかった。そんな兄貴分の反応にこれは重症だなと冷静に判断しつつ、ラミもまた与えられたキャンディーを小さく握る。そんな彼女もトウヤの匂いを間近に感じ、他の二人と同様幸福に表情を綻ばせたのだった。
さぁこれで三人にお菓子は行き渡った…

「Trick or treat 」

…筈。

一番右で三つ目の飴玉を受け取ったラミの隣に待機する、どう見ても成長しきった掌が一つ。

「………」

トウヤの視線がそろりと上がる。そして最終地点で鷲色の瞳とかち合った。

「何してるんだい?ソル」
「だから、何かくれないといたずらしちゃうぞって」

いつの間にか子供達の後に並び、尊大な態度でお菓子を強請る成人間際の少年に、トウヤは盛大な溜息を漏らした。

「何も子供達の真似しなくても…」
「そうよ、ソル!みっともないわよ!」
「うるせーよ。俺まだ成人してねーもん。くれよ菓子。ホレ、Trick or treat!」
「はいはい…精霊達に感謝します」

最近富に口の悪くなった少年が甘い物(…に限らず、味の濃い物)に目が無いと知っているので、仕方なく最後の飴玉を身体の割りに大きな掌に乗せてやると、小さな包みが不釣合いで滑稽に映えた。

「おい」
「何だい?」
「これだけか?」
「そうだよ。みんなと同じなんだから文句言うなよ」
「そうよ、ソル。贅沢を言う物じゃないわ!」
「うん。俺等もホラ、同じだよ」
「………」

そうじゃなくって。

心内でそう呟いたのはこの歳で達観手前のラミと、不満に眉を寄せる辛うじて十代のソル。

「他にもまだあるだろ、寄越すモンが」
「だから、本当にそれで終わり…」
「キスとハグ」
「………は?」

一瞬トウヤの思考が停止した。

「ちょっと、何言ってんのよ!ソルってば、あと数ヶ月もしたら二十歳でしょ?そんなの立派な大人じゃない!気持ち悪いッたらないわね!」
「うるせ。差別すんなよ。その数ヶ月の猶予を有効に使って何が悪い。ほらトウヤ、俺にもこいつらと同じことしてくれよ」

ひょいと頬を晒して、準備万全であることをアピールする成人一歩手前(以下略)

「何か、ソル兄ちゃんが強請ると恐いよな」
「………(こくり)」

きゃんきゃんと吼えるフィズと、どこか挙動不信に映るソルと、固まったままのトウヤから少し離れて事態を見守るアルバが同じく避難していたラミに問いかける。ソルの態度が戯れの延長でしかないと思っているアルバには、憧れの対象が男に色恋の眼差しを向けられる事など考えも付かない別次元の事象であった。故にトウヤの貞操が下手をしたら風前の灯火となることなど理解できる筈が無く、気が強くて独占欲も強いフィズ程の危機感は抱かない。その隣で傍観する幼い少女はと言えば、例の如く無言で頷き、近頃癖に成りつつある小さな溜息を再び吐いた。
不本意に渦中へと巻き込まれたままのトウヤは相変わらずどうしようかと迷うばかりだ。
キスもハグも子供が相手だったから少々の戸惑いで実行できたのだ。言ってしまえば歳の近いソルはそれだけでもアウトである。しかも家族同然の付き合いをしている気心の知れた相手と素面の状態で抱き合えるほど、トウヤの観念は開けてはいなかった。

「トウヤ、早くくんねぇと、俺何するかわかんねぇぞ?」
「いや、だからね?」
「いたずら、しちゃうぞ?」

悪戯っぽく笑っていた瞳に怪し過ぎる光がよぎり、再びトウヤの意識が硬直する。幾分青褪めた頬がひくりと上がった。

「うわっいやらしい!ソルってばいやらしいこと考えてるでしょ!サイテーね、このスケベ!」

今まさに狼の素顔を晒そうと爪を研ぎ始めたソルの腿をげしげし蹴飛ばすフィズの首根っこが不意に引っ張り上げられる。あっという間に、少女の面がソルのそれと同じ位置にまで持ち上げられていた。ついでに一歩トウヤから遠ざかり、上辺に上機嫌を貼り付けてにこにこと笑うソルが少女に語りかける。

「お前等お菓子もキスもハグも貰えたんだろ?だったらもう、行けよ」
「い、いやよ。お兄ちゃんが困ってるじゃない」
「キスもハグも大嘘だってばらしちまうぞ〜」(小声で)
「そんなことしたら、ソルだってどっちも貰えななくなるわよ」

大人気ない言動に負けじと返すフィズの粘りに、とうとうソルの忍耐がぷちりと途切れた。

「大人しく退散しねぇと、お前等が繁華街に無断で行ったことリプレにばらすぞ」

ぼそりと、トウヤには聞こえない程度の声で悪魔の如く囁くソルが言うこときけるなとにんまり笑えば、フィズは一転してこくこくこくと頷いた。弱みと一緒にフラット最強の母、リプレの名を出されては堪ったものではない。
数日前に好奇心で昼の繁華街の入り口をウロウロしたのは事実だった。しかし、それをよりによってこの意地の悪い男に見られていたとは。しかも、そのことにフィズ等が気付かなかったということは、子供達がそのような如何わしい場所に足を踏み入れる様子を彼が傍観していたことになる。もしかしたらトウヤに寄り付く虫を排除する為に、こうして着々と脅しのネタを集めているのかもしれない。恐ろしい男だ。睨みつける猛禽類の瞳の危険な色にフィズの防衛本能が警鐘を鳴らした。これ以上食い下がれば洗い浚いの秘密を本当に暴露されてしまいそうだった。(何故かこの時、他にも知られたくない事実をこの少年に握られているのではという、最悪のケースをフィズは想像した)

「お、覚えてなさいよ〜お兄ちゃんに何かしたら許さないからねーっバカーっアホーっすけべー」

二人の子分を従えて走り去るフィズの捨て台詞をバックサウンドにソルは目の前の少年の整った面を仰ぎ見た。邪魔者が消えて清々したと言わんばかりに満面の笑みを浮かべるソルに、少年は片手で己の顔半分を覆う。

「もう!大人げないよ、ソル!」

剣呑とした大人(客観的に見ればソルも該当する筈だ)と子供の会話は最後の辺りが殆ど聞き取れなかったが、折角伝統行事にのっとって自分の許を訪ねてくれた子供達を追い返されてしまったことだけはトウヤにも理解できた。たかだかキスとハグを得られぬだけで、どうしてそこまで不機嫌になれるのか、理解の範疇を超えている。呆れて仲裁のタイミングすら逃してしまった程だ。

「だって、ずるいじゃないか。子供だからってあいつらばかり。俺にはしてくれたことないのに」
「するわけないだろ。僕等が日常的に抱き締め合ったりしてたら、それこそ問題だよ」

ぶーぶー言いそうに唇を尖らせる姿はまるきり子供で、トウヤはソルという若者の精神年齢を本気で考え始める。
例えば学校という閉鎖的空間で生活する子供達は、グループ意識が高まって過剰な結びつきを求めるものらしい。それまで魔王召喚の贄という特殊な立場上、隔離同然の生活を送って来たソルが初めて団体生活の中に放り込まれて、学生と同じ心境になったとしても不思議ではない。と、なれば。

成る程。これは連帯意識がマイナスに働いた結果なのだ。少々苛烈なのはこの際目を瞑るとして。

ぽんと一つ手を鳴らす。

「ト、トウヤ?」

突然考え込み、ものの数秒で一人納得するトウヤの様子に、ソルは経験上激しく嫌な予感を巡らせる。目の前の、時には路頭に迷った子供や召喚獣を連れて帰って来てしまうこともあるお人好しな少年は、どうも勝手な脳内補完をしてしまう性質らしく、様々な錯誤を抱えたまま物事を完結させては今に至っている。
また一つ、新たな誤解が生まれたのだろうか。
恐る恐る覗き見れば、過ぎる程に整った顔が先程までとは打って変わった爽やかな笑みを浮かべている。

「ね、ちょっと散歩しにいかないか?」
「は?」

唐突過ぎて続く言葉が無い。

「そういえば、ゆっくり話をする機会がここのところ無かったなって。うん、お互い部屋に閉じこもり気味だったからね」
「もしもし?」
「晴れてて良かった。こんな日に散歩すれば、心もすっきりするよきっと」
「いや、それより、キスとハ…」
「大丈夫!ゆったりと充分な会話をするのが効果的なんだよ。こういうことには」

こういうことって、どういうことですか。

少年の一風変わったお日和回路はソルの行動が団体生活によるストレスだと結論付けてしまったらしい。しかし、明らかに説明不足と言える現状でソルがその答えを導き出すことなど奇跡に等しかった。

普段は素っ気無いほど接触を避けるトウヤが一度我道を突っ走り始めると途端に積極的になる。
召喚師という職業からは想像できない位に丈夫なソルの手首を握って、少年はずんずんと歩き始めた。
長袖の上から手首に感じる掴まれた感触が、悲しいかな、それでもソルは堪らなく嬉しかった。
ちゅっとされたいし、ぎゅーっともされたいけれど、今はまあ、これでもいいかと絆されてしまう。
トウヤが自身に向けられるあらゆる好意に欠片も気付けないのは、彼を擁護したがる周囲の生ぬるい意識が原因とも言えた。否、それこそが最大要因であるのかもしれない。
ともあれ。



いつかトウヤとキスとハグ。


大人気なさを盛大に露出して見せたソルの心意気は伝わらなかったが、次へのステップに通ずる即席の標語はできあがった。




天下泰平。何時もと変わらぬ日常が繰り返される。






                                                          end