己の中の、想いの芽吹きが遅過ぎたのだとレイドは唇を噛んだ。
回りくどい真似などせずに、明かしておけば良かったのだ。私の物になれと。もう、誰にも触れさせるなと抱きしめておけば。そうすれば、トウヤはこんなに揺れ動いたりはしなかった筈だ。自分だけを見てくれたことだろう。
トウヤの求めた愛情を、誰よりも先に与えてやっていれば。

ただ、正直になりさえすれば良かったのに。

「ここには、もう来ないつもりかい?」

「はい」

「二股の関係を、もう二ヶ月も続けてきたのに?私が付けた印を見せ付けて彼を煽ったりもしていたんじゃないのか?一晩の内に私と彼を梯子することだってあったのだろう。たった一人の人間だけで君が満足できるなんて、私には到底信じられないな」

挑発的な視線でトウヤをねめつけ、髪をかき上げる。
かつてその仕草が好きだと微笑んだ若者が、今は寒気を催す視線を容赦なく突き刺してくる。それでもレイドは怯むことなく、笑みすら浮かべて続けた。

「愛情が欲しいなら、私があげようじゃないか。肉欲以上の欲求で君を縛ってやろう」

片手を膝につきながら立ち上がったレイドは、ベッドの脇に常に控えている愛剣を手にした。
先輩剣士…ラムダから譲り受けた、命の次点に位置する剣。それを鞘から引き抜き、月明かりの舞台に立つトウヤを返り見る。
磨きぬかれた鋼が月光をその白い頬に照り返したが、トウヤは動じた様子無くレイドを見据えて佇んでいる。
どこまでも胆が据わっている。
そんなところもレイドは好んでいた。
ゆっくりと、殊更間を持たせつつトウヤの側に歩んだ。妙な心の疼き、高揚感がレイドの顔に薄笑いとして浮かぶ。
二人の距離が後一歩まで詰まった所で、使い込まれた大剣が白い喉を捕らえた。このまま引き降ろされれば、確実に殺られるという状況でもトウヤは眉一つ動かしていない。
凶器を挟んで顔を近づけたレイドの左手が窓にひたりと当てられ若者を圧迫する。

「私の物になれ、トウヤ。できないなら…」

薄皮が裂け、刃がリアルに食い込む。


「殺す」


今まで保ち続けていたスタイルをかなぐり捨てて囁いた。
戯れで脚を開いたトウヤと同じく、レイドもまた愛とは無縁の生き方をしてきた。騎士道に博愛の思想は在っても恋情の精神は無かったし、むしろ戦いに明け暮れる人生には無用だと考える者も多くいる。レイドとて女に求める物は温かい抱擁と送り出す言葉だけだったのだから。今の今まで、トウヤにだってそう接してきた。大人を気取ったトウヤにつけ込んでいたとも言えた。陰と陽の顔の格差に歪みを見て取りながら、子供をあやすようにトウヤの誘いに応じていたのも、その方が都合が良かったからだ。肉体のみの関係は、これまでの生き方にぴたりと嵌っていたのだから。
けれど今は己の半生を否定してでもトウヤを手に入れたいと痛切に願う。どれだけ身勝手であろうとも、囚われた己を意識してしまった以上、引き下がることはできなかった。誰のものでも無いから束縛せずにいられたのに、その境界線を踏み越えるなら本当にトウヤを殺めてしまえるかもしれない。

己の思考に追い詰められてゆく。剣を握る右手に汗が滲んだ。
しかし、自分を曝け出したレイドの台詞は、確実に変革をもたらしたようだ。

まるで反応を示さなかったトウヤの瞳が初めて揺らめいた。

築かれつつあった砦が崩れかけているのを感じ取り、レイドの中にもしやと希望が芽生える。
吸い込まれそうな双眼の深みを覗きたい衝動に駆られながら、レイドは唇を近づけた。
いつものように、柔らかく迎え入れられる筈。そう、信じた。


「遅いよ、レイド…」


呼吸すら感じ取れそうな位置にある面が、蒼く染まっていた。

「ソルが好きなんだ」

弱々しい笑みを浮かべて、トウヤは「ごめんなさい」と呟く。その言葉に、そして表情に突然レイドは気付いてしまった。
トウヤの中の幼く純粋な部分は、ずっと以前からソルに惹かれていたのではないだろうか。
とっくに答えは出ていたにも関わらず、彼の半生がその柔らかな部分を捻じ伏せていたのではないだろうか。
この身は軌道修正の役割に過ぎなかったのかもしれない。
しかし今、レイドは初めてトウヤを理解したのだ。
氷が解けるかの如くわだかまりが消え、その思いがすうと身体を突き抜けてゆく。
まるで鬱屈した情念が浄化されてゆくように清清しく、不思議なまでに強張りが解けた。

「ごめんなさい」

もう一度、トウヤが呟いた。
彼は静かに泣いている。
見たことも無いような、幼い表情で。











結局レイドにはトウヤを殺すことはできなかった。
道徳的にも当前のことと人は笑うかもしれないが、その夜のレイドは若者を殺せるだけの覚悟を実際に持っていたのだ。ただ踏み切る前に、思いもよらぬ変化が情念の禍々しさを洗い流してしまった。
それまで濃密に身体を絡ませあっていた若者の訪れない部屋はとても静かで肌寒い。それでもシーツは清潔に保てるし、存外に安らかな眠りを貪れる。
時折仲睦まじく身を寄せ合うトウヤ達を見かけると流石に遣る瀬無くなるが、二人に対して憎しみや嫉妬の念は浮かばなかった。
重ねた毛布に包まれながら、こんなものかとレイドは思った。
しかし、そうでなくてはならないのかもしれない。
レイドはトウヤを殺せなかったのだから。
情の激しさは浄化されたのだから。そうでなくては困るのだ。
重くなりつつある瞼を閉じ、時間の流れを受け入れるべく呼吸を整える。



想いは風化し、いつか優しい傷痕に変わるだろう。







                                              end