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「はいっ」
微笑みに強張りなど消し飛んでしまったようで、男が元気に返事をしながらすとんと椅子へ腰を落とした。
何をするんだろう?と、そんな顔でナミを見上げるサンジの眼差しは、ゲームで白い駒の動きを追っていた好奇心一杯の輝きと変わるところはなく、先程の戸惑いなどどん底にへばりついた苔ほどの存在感もなくしたのだと伺えた。
「良い返事ね」
「えへへ」
教師よろしく褒めてやれば、右手を後頭部へと添えて照れ笑いをするのが一々芝居臭い。この大袈裟な仕草が…単に素直なだけなのだろうが…面識の無い女には胡散臭く感じられるのだろうとナミは考える。個性とは時に酷く鼻に付くものだ。
「それじゃあ、両腕を肘掛の外に出して」
言われるまま、サンジは長い腕を脇に滑らせたのを見届けて、ナミは背後へと移動した。
「大人しくしていてね。動いちゃ駄目よ」
身を屈めて背凭れと座面の接続部分に括りつけておいたロープの端を握る。
左右両側に一本ずつあるそれを確認し、まず手始めにサンジの細い右手首を取った。
細めロープを鬱血してしまわないよう、けれども緩んで外れもしない加減で袖の上から幾重も巻き付けてゆくと、成り行きを見守っていた男にも流石に戸惑いが滲んだ。
「ナ、ナミさん?」
不安気な口調で名を呼ばれても見向きもせずにナミの作業は継続される。背凭れからは幾分遊びを持たせ、姿勢が窮屈にはならない様に配慮した拘束は最後の結びを一本引けば解ける形できつく締め括った。
ゲームの延長でしか無いようで、男の様子にはまだ余裕があった。ナミのもたらす遊びへの興味は損なわれてはいない。
それを良いことにもう片方の腕にも手を掛けても男はされるがままだ。
左腕にも同じ戒めをした。
「痛い?」
「ううん」
白い面が否を示し横に振られると金色の髪がさらさらと振れた。暖色の灯りの許でそれは幻想的に揺らめく。
金はナミの好きな色の一つだ。
他を圧倒する純金製の鑑賞物も好きだが、真ッさらに磨かれた白磁の皿に繊細に施された金の装飾も好きだ。
その煌びやかな色が実はとても艶めかしいのだと、この男を見て初めて知った。
朝日を浴び、清涼な空気に滲んだ白磁器を淫靡に感じたのもこの男を連想したからだ。
酷く、性を刺激された。
覚えの無い感覚に焦燥し、只立ち尽くすしかなかった。
ふいに男の耳を舐め上げてやりたくなり、ナミはすっと目を逸らして姿勢を正す。
今はまだそのタイミングではないのだ。
衝動を断ち切る意味も含めて次の行動に移るべくヒールの踵を椅子の前方へ、…サンジの左足元へと運んだ。床板にかつかつと硬質な音が響く。天井に小さな換気口が一つきりの広くもない部屋では空気の振動が幾分篭って聞こえる。
そして、視線は黒のトラウザーズを纏った脚に。
今度は片膝を付いて男の足首を持ち上げた。
「え…」
小さな疑念が言葉にならず漏れるも、無視して膝が肘掛をゆうに越えるまで掲げ、その過程で邪魔だとばかりに靴を下に落としてしまう。そして、靴下を履かない素足の踵を座面の隅に乗せると、ナミはミニのフレアスカートのポケットから手首に使用したのと同じロープを取り出した。
「あ、待って、ナミさんっ」
「動かないで」
ナミが幾分声のトーンを落として睨みつければ、サンジは乗り出した身を強張らせて言葉を飲み込んだ。
イイコ。
男の反応を胸の内で密やかに褒め、肘掛の支柱に白い足首を括る。抵抗は無いが緊張していて時折小さく引き攣れた。立てた膝に裾が足りなくなり皮膚に直接ロープを巻き付けなければならなかったので、事後には跡を残してしまうかもしれないのが気になったが、後に引く気の無いナミはその事実を蚊帳の外へと追い遣った。
全ての支度が整い、ナミは一歩離れて男を見遣る。
三本のロープで椅子と一体化した男は心細さを隠すこともできずにナミを見上げている。何かを言いたげに薄く開かれては、叱りつけられるのを懸念してか直ぐに閉じてしまう唇の動きにすら衝動が走り、ナミの掌に知らず汗が滲んだ。
足首を固定する肘掛と大振りな椅子の座面の広さの関係で立てた状態の片膝は自身の肩と同じ位置まで広げられており、大胆な開脚とまではいかないが黒い布地の狭間は片腕くらいなら届く程度晒されている。両腕は戒められ、自由になるのは右足のみ。
片足を残した理由の一つはナミの美意識だ。左の立膝が気になるからか手付かずの片足は幾分内側に閉じており、その無意識の仕草がナミには可愛らしく映った。女だったらそれは当然の動作でしかない。単に図体のでかい男がやっても哂えるだけだろう。
この男が迷子のような幼い表情でするから、イイのだ。
「ナミさん、これから何を?」
料理人の姿勢を貫く為に常に両手を庇うべく戦闘時の武器となってきた双脚の片方が封じられた状況は男を不安定にさせているようだった。相手が信頼するべき仲間、そして憧憬の対象でもあるナミであることも含め、これが単なる遊びの延長だとは誤魔化し切れぬ所まできているのかもしれない。
何より自覚してしまうくらいにナミの表情は暗く変化していた。
哂いながら粘着質を伴う視線で男の全身をつぶさに観察した。
金色の髪が顔半分を覆っている。常に晒さるべき場所が隠されている事で妙にバランスを欠いた絵となる。
長い睫の一重は本人にその気が無くとも性的なアピールとなって他者を誘惑するし、薄い顎鬚など男性的というよりも雄らしくあろうと足掻いているだけに見えた。
そして、常時はきっちりと閉じネクタイまで締めている襟元は此処のところの温暖な気候で運悪く開かれてしまっていて、そんな時に限ってその奔放の齎す弊害が男に降りかかろうとしている。
鎖骨を指先でついと撫でた。
男の碧眼がぎゅっと閉じられ、全体が硬く強張った。
中央に寄る突端部分をくりくりと弄びそのまま左の動脈を辿って耳元へと滑らせる。
「ナ・ミ、さん…っ」
絶え間ない反応に感度の良さを察し、ナミの猫目が不吉な程に細く笑んだ。
−−−啼かせてみたい。
そう意識したと同時に、とてつもない衝動が中枢を駆け抜ける。
厭らしく身をくねらせ喘ぐ様を見てみたい。
この、愛を量産してばら撒く愚か者に思い知らせてやりたい。
陵辱は何も雄の特権などではないのだと。
どれだけ美化しようとも、女という生き物の中にも陰惨な欲望は渦巻くのだ。