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ナミは今年で十七になる。まだ赤子であった頃に抗争に巻き込まれて家族を失い、同じく戦火に巻かれ途方に暮れていた少女ノジコに拾われて、更に当時海軍の少佐であったベルメールによって救出されたのが経歴の始まりである。
その後、直ぐに海軍の職を辞したベルメールは、故郷であるイーストブルーの辺境の島へと二人を連れて帰り、ある時期までは家族同然に、賑やかに過ごしている。故に其処がナミの故郷であり、記憶の全ての出発点でもあるのだ。
ナミはやんちゃで、自己顕示欲も我欲も物欲も人一倍顕著であった為に、母親代わりのベルメールにも、姉妹として育てられたしっかり者のノジコにも多大な気苦労をさせてきたが、二人をとても愛していたし、二人からも劣らぬどころか底の尽きぬ、呆れる程の愛情を注がれてきたと自覚していたので、例え何十年先になろうとも、その時代が最も優しく幸福に満ちた時間であったと胸を張って言えるだろう。子が当り前に過ごす時間と、得るべき経験は、全てその時代にナミの中に蓄積された。いつまでもそれはナミの宝物だ。
故に。
故にナミが八つの時に訪れた悲劇でベルメールが死に、彼女を殺した侵略者によって愛すべき故郷をその背中に背負わされても、ナミが膝をつき押し潰される事はなかった。
侵略者である魚人共は力で島を支配したが、同時に一億ベリーで故郷を解放してやるとナミに告げたのである。
少女がたった一人で得るには莫大な金額である。
しかし、重税を課された島民は支払い能力を根こそぎ奪われ、海図制作の能力を買われたナミだけが、海図の情報収集を名目に島を出て稼ぐ事を許されたのだ。
少しでも多くの金を、宝を。そうせいで命の危険に晒された事も一度や二度ではない。
殺されぬ代わりに酷い陵辱を受けたこともあった。
だが、それはナミの心を手折る程の出来事ではなかった。
何故なら、ナミの肉体が性的な刺激に酷く疎かったからだ。
極度の不感症なのである。
初めての男が、航海先で出逢った、自身を少なからず愛してくれた人間であったのも、穢された体を尚奮い立たせる勇気に繋がった出来事の一つであろう。
その男は女の癖に濡れないナミにローションを使い優しく抱いてくれた。
ナミちゃん、可愛い。俺のお嫁さんになって。今はまだ只の機関士だけど、頑張って自分の船を持って必ず君を幸せにするから。
そんな睦言を囁かれながらナミは眠ったのだ。地獄のような日々の中の数少ない優しい記憶である。
お人よしで気のいい男であった。それでも愛していたかわからぬし、幾度かのセックスで感じたことは一度もなかった。
優しくされて抱き締められ、自分以上に震えていた唇に、気が付けば流されていた。
心は逸ったのに身体が全く反応しなかったのである。
己が乗組員として働く船からまんまと金品と小型船を盗み、逃げ出した少女を、寂しそうな笑顔で黙って見送ってくれた男に、ナミは少しだけ心が痛んだ。そして、ちょっと位感じた振りをしてあげても良かったのかもしれないと傷付いたのだ。それから幾年も経てば、顔も碌に思い出せぬ存在となったが。
一億ベリーまで後一歩の金額を掻き集めた十八歳までの間に、望んだ性交渉もあれば望まぬそれもあった。
だが、今だナミは絶頂を知らぬし、スムーズな挿入が可能な程に濡れることもない。強姦された時には流されることの無い体質のお陰で下手に悔しい思いをせずに済んだのだが、誰であろうとも感じられぬのには、流石のナミも気落ちした。
何時しかナミの中で、セックスが酷くつまらないものと位置づけされ、気に入った男であっても性交渉を迫られた時点で情熱が冷めてしまう性質になっていても致し方なかろう。
そんなナミの前に今、両腕と利き脚を封じられた無防備な男が居る。
頑丈な椅子に縛り付けられた男は、ナミの戯れに触れる指にどう対応したら良いのかわからぬ様子で軽くパニックを起こしていた。
「くすぐったいよ、やめて、ナミさん」
嫌がる声が上擦って、心なしか呼吸も乱れてきている。
「あら、そんな嫌がることないじゃない。あんた、私とこういうことしたいんでしょ?」
病的なまでの女性崇拝者である男の示すアプローチ…求愛行動は言葉、動作共に派手だが、性的な意味合いは不明瞭で、どこまでが本気なのか非常にわかり辛かった。
だが海賊上がりの不良コック共と過ごして来た経歴を持つ、見た目だけは逸品のこの青年が、先日語った通りに舞台鑑賞やお喋りでデートを終えてしまった童貞だとは考え辛い。そういう事実があったとして、十九の齢で全てを未経験のまま通したなどとは思えなかった。…それに、他にもナミが男の純潔を疑う理由がある。だから、嬲る言葉や悪戯の手管に躊躇いは微塵も無かった。
「でもっ、駄目だよ、女の子が、こんな…っ」
「こんな?こんな厭らしい触り方する女は最悪?幻滅しちゃう?」
業と己を卑下してやれば、男はそれまでの戸惑いが嘘のように強く首を振った。
違う。そうじゃない。どうか判って。
男の蒼の瞳が縋る色でナミを見上げた。
他愛も無い戯れでは済まないのだと男は感じ取ってしまったらしい。
勘の良さに舌を巻く思いだが、それはそれで好都合というものだ。自覚されていた方がやり甲斐もある。
「嫌なら、その自由になる脚で私を蹴り飛ばせば良いわ。力で抵抗しなさいよ」
男の立てた形で戒められた左の膝と逆の肘掛に手を突き、ナミは男の眼前へと身を乗り出した。
何故片足が解放されたままなのか、その理由に漸く至り、男の表情に焦燥が広がる。
否、ナミの瞳に宿った暗い焔を垣間見たのかもしれない。
どちらにしろ、男が本気で抗わなければナミに止める理由は無い。
その唯一の武器を振るわぬのなら…これは合意の上の事。
残酷な気分を隠しもせずに口角を釣上げて哂ってやる。
劣悪な環境下にあった八年の歳月から解き放たれた女は、自らが陵辱する側となった。
粗暴な日々を糧とし培われた見事な銀糸の罠に掛かった哀れな蝶は、黒い翅を持ち見事な金糸を靡かせる蒼い瞳の美しい雄。
男が何処まで耐え切れるかが見ものだとほくそえみながら、武器たる脚が振るわれる事はないとナミは確信している。
男は 病的なまでの 女性崇拝者なのだから。
鼻頭が擦り合いそうな位置まで顔を近付けたナミの吐息が甘く滑り落ちる。
ゴツリと男の後頭部と背凭れがぶつかる音がした。
チェックメイト。
「可愛い。サンジ君」
ナミの薄く色付いた唇が、男のそれに覆い被さった。