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舌を絡め取り、強く啜る度に男の痩身が慄く。
ソファーとデスクとバーカウンター、そしてベッドやクローゼットの家具一式が押し込められた狭い船底室には当然の如く窓の一つも無く、ぴっちりと埋められた壁板の継ぎ目から逃げることの叶わぬ嫌らしい水音がナミの思惑どおりに怯える男の鼓膜を震わせ、快楽の淵へと追い詰めてゆく。
口内から引き擦り出した肉を前歯で軽く噛みながら舌先で嬲ってやれば、男の身体が面白い位にビクついてナミの加虐心を益々誘った。
セックスにおいて見掛け以外の身体の機能はイマイチと自覚しているナミも、キスにおいては絶対的な自信がある。顎と舌を巧みに動かしながら、相手がどうすれば感じるかを探り、見事な調和で快感を生み出すことが可能だ。元来何事も器用にこなせるナミは、スリとしての技術や複雑な錠前を瞬く間に解放する盗賊としての手業ばかりではなく、舌先ですらとても軽やかに操れるのだ。
経験豊富と豪語した男の腰を、濃厚なキスで砕いてやったこともあった。だから、サンジの様な知識や欲求ばかりが先行してしまっている若者を煽るくらい造作も無い。
「んっんんっん!」
呼吸のタイミングを計れず、僅かな合間に得る空気で辛うじて呼吸する男に、唾液を飲み込む余裕すらも与えない。
吐息と共に漏れる声は悲鳴にも似て、今にも泣き出してしまいそうだ。
しかも、ナミの両手はがら空きで、何でもできる。
例えば、こんな風に乳首を弄ってやることも。
「ぅん!?」
スーツの上からすりすりと撫でてやるだけで、男の肩は跳ね上がり、余計に息が乱れて行く。指先を押し付け、強引に捏ね回してやれば、戒められた窮屈な身体をむずがる様に捩って逃れようとした。その仕草が、どれだけ羞恥に苛まれているかを赤裸々に相手に伝えてしまうと本人は気付いているのか。ナミには男のそんな余裕の無さが堪らなく愛しい。
男にとっては余計であろうが、ナミなりの奉仕の精神を含ませる意味で、少し硬い部分への刺激を執拗に繰り返した。
官能的なキスと、もどかしい愛撫に焦れたのか、次第に自由な右足がナミの膝上へ擦り付けられる。
止めて欲しいとも、もっという懇願とも取れる。
どちらの意味合いを選ぶかは、男が言葉を発せぬ以上ナミの判断次第。
当然、ナミは後者を選択した。男の真意など、関係ない。
捕食者として都合の良い解釈をし、最上の食事を楽しむだけだ。
「はぁ!」
長いキスから解放された男が天を仰ぎ空気を求めた。己を侵食する者と視線を合わせたくないのか、潤んだ瞳と真っ赤に染め上がった頬で頸を反らしたまま只管呼吸を繰り返す。だが、そうして無防備に差し出された肌に喰らい付かぬ訳にはいかない。ナミは長い舌を見せ、下から上へと舐め上げた。
男らしからぬ高い悲鳴が上がった。
自身で漏らしたその声質に、男が驚いて身を強張らせる。
もう、どうしたらいいのか判らないといった具合で、ナミの舌が耳元まで這い上がり耳孔に辿り着いてしまえば、遂に混乱をきたして首を振りたくった。
「やめて、ナミさん!こんなの嫌だ!」
はっきりとした拒絶の意思に、ナミの瞳が釣り上がった。
「何故?気持ち良さそうな顔してたじゃない。好きなんでしょ?」
「違うよ、ナミさん、俺はこんなこと…だって…!」
「だって?何?」
「これは、ゲームの一部なんだろう!?」
ナミの形の良い眉が不機嫌も露に寄る。
「遊びなんだろ?だったらもう、これ以上は無理だ」
羞恥に泣き出してしまいそうなサンジの訴えは、酷く耳障りにナミの鼓膜を抜けて脳へと達した。
コイツ、馬鹿だ。
ナミの内部に薄墨の如き憎しみが広がった。
ゲームに決まっている。その延長にあるのだから当り前だ。
たかだか拘束されて厭らしく撫で回されたくらいで、生娘のような言い草をする目の前の男に唾を吐きかけてやりたくなる。
否、ナミの本気の程度が図れずに戦いているのか。
淫靡な戯れに付き合って、流された挙句に妊娠でもされたら困ると、そうも考えているのかもしれない。
…否、そんな低俗な理由ではないだろう。ナミの想像する限り、このサンジという男は…。
性的な事柄全てを男女間の神聖な儀式と捉えて疑いもていしない。
もしかしたら本当に、異性との交わりで消失してしまう儚い純潔を守り通してきたのかもしれない。
ナミがとっくの昔に失くしたものを…。自身の素質の無さに打ちのめされ、つまらぬものと切り捨てた行為を、この幸せな男は大事に握り締めているのだ。ナミよりも二つも年上の、この男は。
「そうね、只の遊びだわ」
色の無い声と共に、ナミは男を見下ろす。
「でも、だから?何でアンタの言い分なんか聞かきゃならないわけ?」
怯えと焦燥の入り混じる、複雑な表情の男に見えぬ刃を突きたててゆく。
「アタシが勝者で、アンタは敗者。敗者に拒否権はないし、意見する立場にもないわ。アタシが始めたゲームだもの。ルールもアタシが決める」
「ねぇ、どうしたの?ナミさん。俺のコトそんなに気に入らないの?そんなに煩かった?俺…」
まるで、態度の豹変した母親のご機嫌を必死で伺う子供のように、男は何とか日常を取り戻そうと言葉を選んでいる。引き攣ってはいるが、ちゃんと笑みをのせて。ナミにもそうやって笑って貰いたいのだと伝わった。
だが、通じた願い事がその通りに作用するとは限らない。
「そうね、煩いわ。黙って。命令よ」
容赦無く、切り捨てた。
焦燥が失望に変わる瞬間を、ナミは睨み付けた。
高尚な思想など、暗闇を生き抜いた女には煩わしいだけだ。