4
僅かな接触のチャンスを最大限に利用し、持てる恋愛テクニックも駆使して、エースは晴れて料理人の『特別』となった。
何故未だ崩壊を視ず四人と料理人、そして間に割り込んだエースとの関係が保たれているのか、その疑問から眼を逸らしながら闇に紛れてこんじきの髪を揺らめかせる想い人との逢引を重ねている。
月明かりに愛でられ淡く光るおもてを指で辿りながらエースは覚醒の気だるさに任せ幸福な未来を想った。
奇跡の海オールブルーを探しているのだと彼から聞いた。その美しかろう海に最も近い陸、いつか其処に二人だけのささやかな家を建てるのだ。無論料理人としての彼を殺さぬようにレストランとしての機能も持たせ、存分に腕を振るって貰うことも忘れない。
そして漁に出て働くエースの帰りをエプロン姿の彼が煙草片手に迎えてくれる。
この美しい人が家となってくれるのなら、きっと…。
人間としてのエースは他に何も望まない。
ん、と薄い唇がむずがって息を詰めた。
そして、エース…と儚い音を零す。
彼の長い指がエースの下着を強く掴むその仕草に苦笑が浮かんでしまう。
エース、ともう一つ零れた時、彼の閉じられた睫に雫が滲み、今度はエースが息を詰めた。
置いていかれる夢を見ているのだろうか。
現実のみならず、彼を置き去りにしているのか。
ごめんね。
小さく呟いてゆっくりと強張った五指を解いてゆく。
己にはやらねばならぬ事がある。
仲間殺しのトガビトを捕らえる使命があるのだ。
皺になって下がった下着を引き上げて性急に脱ぎ捨てたままであったハーフパンツを纏った。
もう行かねばならない。
愛してると囁き涙の溢れてしまった目元に口付けてエースは立ち上がった。
倉庫を出ると、目の前には黒と銀糸の波が一面に広がっている。見慣れた景色だ。恋人との甘い逢引を打ち消してしまいそうな程に圧倒的な質量で横たわる現実を体現したかの風景。冷たい潮風を胸に吸い込み、必ずまた逢いに来ると心内で誓う。
次は何時か、何処で会えるかも分からぬが、彼の元を後にする時は無性に己に言い聞かせたくなるのだ。
海賊など因果な商売であったから死にかけることもある。それでも根本が単純にできているのか、態々意識するでもなく死を突っぱね当り前に歩んできた。けれど…。
彼に会う度に、生きてやると叫びたくなるのだ。
まるでこれまでの人生の欠けた部分を補完するように。
一頻り感慨に耽り恋人が毎日のように眺めているであろう藍と暗の大海原を見納めて己のボートに戻ろうとした時。
エース
呼ぶ声に仰ぎ見ると、倉庫上の船板に麦藁帽子を押さえながら弟が立っていた。
この世界でこいつほど不可解な奴はいないとエースは思う。こんな風に暗闇を背に立つ姿を見る度、無と無限を同時に感じる。
よう、邪魔してた。元気か?
おう。エースこそ元気そうだな。帰んのか?
ああ、と口角を引き上げ、じゃあなと踵を返した。弟に言いたいことは再会した日に全て告げたから充分だった。
俺、海の人間になるんだ。
弟の唐突な宣言に意味が分からず振り向いた。
大き目玉に釣り合わぬ小さな瞳が瞬きすらせずエースを見据えている。
俺もエースも陸の人間だ。海は好きだけどやっぱり陸が恋しくなっちまう。そうだろ。
その強い視線に立ち向かいながら、胆の温度がすっと下がるのを意識の端で捉えた。
奇跡の海に程近い陸に建てた優しい家。其処で待っていてくれる彼の笑顔。それがエースの想い描く未来だ。
知ってるか?サンジは違うぞ。
大きな波が一つ船体を揺らした。
あいつは海でしか生きられない人間なんだ。陸に上げたら魚みてぇに窒息しちまう。だから、エースにサンジは譲れねぇ。あいつをこの船から降ろす気はねぇからな。
己のものだと誇示かるかの如き無礼な物言いに腹が立った。
しかし、何よりもエースの知らぬ恋人の素顔を突きつけられ言い知れぬ怒りを感じた。
料理人との逢引は何時だってこの小さな船の上で、まるで揺り籠に守られた赤子の様に彼は無邪気な寝顔を見せる。
陸で落ち合う事もあるにはあったが…。
その度に見張りがあるからといざなわれてはいなかったか。
どれも、共に過ごせるのであれば取るには足らぬことと見逃していた。
小さな波がざぁざぁと犇く。
きしきしと船が鳴いた。
俺ぁこれから海賊王になって、いっぱい海で生きる。そんで潮の匂いの染み込んだ、サンジと同じ海の人間になるんだ。
船首甲板に立ち胸を張る弟は、間違いなくその未来をのみを目指してひた走るだろう。
位置関係がいけないのだろうか。
エースの目には小柄な弟が随分と大きく映る。
…船を。
船を降りるかどうかはあいつの自由だろう。ルフィ。
エースはトレードマークのテンガロンハットを被り、縁から瞳を覗かせ威圧した。余裕をなくしていることに気付くもそれは意識の端に押し込める。今この瞬間、目の前の男を少しでも見誤ろうものなら、必ずや足元を掬われるだろう。有難いことに、エースのここぞとばかりの勘はとても良く働くのだ。
そして相対する男もまた、やはり血を分けた弟であった。
降りねぇさ。あいつが此処から離れられる訳がねぇ。エースが許されてんのはおめぇの方からこの船に通うからだ。
月光を遮る麦藁の陰りの中でその双眼に禍神の気配を漂わせる。
本当は海賊王になってからって楽しみにしてたけど、まあいいさ。俺が喰う時は最高の身体になってんだろうしな。
何故、
貫きもせず、共有していた?
−−−ああ。
口角を裂く勢いでエースは笑った。