そうこうしているウチに居間に着いた。
オルドレイクの苦労を(主に家族関係で)刻んだ両手が勢い良く扉を開く。ノックも無しにいきなりであったのが祟ったのか、

「キールよ!今宵はお前に一働きしてもらうぞ!!」

「後にしてもらえませんかね!今は大事な商談の最中です!!」

普段物静かな長男に声を張り上げて叱りつけられ思わず固まってしまった。
背後には『キール様はお客様のお相手をされてますよーと言おうと思ったのになー』的な思考をしつつ傍観する執事の姿。
ローテーブルを挟んで座る商談相手の御夫人にくるりと向き直ったキールは営業スマイルに戻っていっそうの愛想を振りまいた。

「失礼しました、ミス・マーン。で、こちらなのですが、福を呼び縁を結び悪鬼災厄を退ける実に霊験あらたかな壷でして、二百年前の名僧『百休』が苦行の末身に着けた霊力を込めて製作した品と言われております」

「本物なの?」

「勿論でございます。中々市場にも出回らない一品ですよ。マーン様がその年下のがきんちょに振り回されるのも、これ程までの美貌をお持ちでありながら良縁に恵まれないのも、全ては運気が乱れ低迷してしまっている為。その運気をこの壷は修正しつつ向上させてくれるのです」

「ふん。そうよねぇ。これ程完璧な私に落ち度があるとは思えないものね。そうね、『運気』ってあるのよね」

もう一息。

独特な垂れ目をさり気無く猛禽類の眼差しに変貌させる長男を、大分引き気味な意識で眺めるオルドレイク。
あの壷は確か長男が三日前にガラクタ市から持ち帰ってきた代物で、ちらりと見た値札には百五十バームと殴り書きしてあった気が…。

それをこの長男は二百五十万バームという詐欺的値段で売りつけようとしているのである。

ぺらぺらと嘘八百を並べ立てる実の息子の姿を突っ立ったまま眺めるオルドレイクにキールの剣呑な眼差しが煩わしげに投げつけられた。

「父上、まだ何か?」

「い、いや何でもないよ。邪魔をして悪かったな」

ははは、と引き攣った笑みを浮かべつつオルドレイクは扉を閉めた。
確か、ケルマ・マーンとか言った商談相手の御夫人はキールの上得意であった気がする。
何でもかんでも値切る代わりに、世間や相場を学習しない非常に扱い易いお金持ちであると、ほくほく顔で長女クラレットに語っているキールの姿を見たような。
栄養の殆どがあの豊満なバストに集中してしまっているのかもしれないな。それにこうしてお金をばらまくのは裕福な人間のストレス解消法なのさ。…などとさりげなく猛毒を吐いているのを聞いたような。
温厚な物腰の長男は、その実セルボルト家随一の商売人であった。何せオルドレイクが婿養子に来てから一代で傾けてしまった家計を漸く平定まで戻したのはまだ年若いこの長男の手腕である。極貧時代を経験していた為か、こと金儲けには目の色が変わる。
それこそ、実の父親であるオルドレイクが引いてしまうほどの守銭奴振りを発揮した。

「天国の妻ツェリーヌよ。キールは知らぬ間にあんな悪徳商人に育ってしまったよ。それもこれも私に商才が無かったせいだ」

閉ざした扉に頭を擦り付けてオルドレイクはこれまでの人生を振り返る。

「思えばこのセルボルト家に婿入りしてから付け焼刃で習得した召喚技術で事業を継いだが、何故か召喚の儀式を行えば行うほど赤字が増えていった」

「おいたわしや、お坊ちゃま…」

その斜め後ろでは執事が白のハンカチをさめざめと濡らした。

「ああ、私には商才は愚か、召喚師としての才も無かったのだ。私に才が無かったばかりに武器注文のちょっとした儀式にも純度の高い召喚石を必要としたし、高給取りのアルバイトを雇わねばならなかったし、ビー玉は屋敷の端から端まで転がるし、窓はぴったりと閉まらないし、扉は開かなくなるし!閉じ込められるし!猫は鼠を咥えてくるし!昨日の夕飯のメインディッシュが猫魚の姿煮だったし!」

仕舞いにはがつんがつんと額を打ち付けるオルドレイクに扉の向こうから鋭い詠唱の一喝が響く。

「ポワソ!!!」

ズガン!

まるまるとした腹で扉を突き破った精霊ポワソがそのままオルドレイクに激突する。

「ぐぎゃっっっ!!!」

蛙の潰れたような悲鳴をあげてオルドレイクは背後の壁にめり込んだ。三角のとんがり帽子を目深に被り浮遊するマスコット的に可愛らしいポワソも矢張り攻撃魔法。実体化したお腹でのプッシュ攻撃は威力絶大であった。
そして、悲しいかな。初歩召喚術でもこれ程の破壊力を発揮できるキールは魔力でもオルドレイクの百歩上を行くのである。

父上は何も為さらなくて結構ですよ。寧ろこのまま隠居して下さると助かります。

言葉の刃をにこやかにぐさぐさ突き刺すキールの姿がオルドレイクの脳裏に浮かんで消えた。

一瞬の失神から回復したオルドレイクは、稼ぎ頭のキールの商談の邪魔になるまいと無言でその場を後にする。ちらっと、全身傷だらけの父に息子から労わりの言葉は無いかと期待したが、息子は如何に高値で商品を捌くかに夢中で、最早オルドレイクの存在など意識の端にも上らない様子であった。

オルドレイクはちょっとだけ泣きたくなった。






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