このまま自室に引き篭もって眠っちゃいたいな…。

もう、世界征服なんて馬鹿なことやめようかな…などと現実逃避を始める思考。





とぼとぼと歩く主の後をきびきびと付き添う執事。

心許ない足取りは、いつしか屋敷の端っこに追いやられてしまった自室に確実に向かっている。
このまま中年の引き篭もりという最悪のエンディングを迎えてしまうのか。
それでも魔王君臨の可能性は減りつつあるのだから、世界規模の展望で語れば喜ばしいことではあるのだが。
しかし、そんな最中。

「お父様ーーー!」

この可憐な花々を連想させる鈴音の如き声音は!

廃人に近かったオルドレイクの顔色がぱぁっと華やいだ。もう殆ど条件反射である。

「おお!我愛娘カシスよ!!」

「お父様!探したのよ!」

最高の瞬発力で背後から走り寄ってくる末娘に向き直ったオルドレイクは、飛び付いて来た小さな身体を万感の思いを込めて抱き締めた。
相変わらず可愛いなぁ、カシスはぁ〜。
いや〜ん、お父様のお髭ちくちくするぅ〜。
暫くおつむの弱い親子を演出していた二人は、思う存分堪能しあった後に腕を絡ませ合いながら歩き始めた。

「私に何か用事か?」

「ん〜、あのね、ちょっとお願い事があってぇ〜」

「ふむふむ、言ってごらん?」

「欲しいものがあるの。ピンク色のワンピース。もう夏でしょ?だからお洋服を新調したいなって」

「ピンク色のワンピースかぁ。うんうん、カシスに良く似合うだろうな。いいとも買ってあげよう。幾らだい?」

ごそごそとサイフを探り出した父に、殊更華やいだ表情を見せたカシスが事も無げに言い放った。

「五万三千バーム!」

は?

上着のポケットを探っていた動きが止まった。

「カ、カシスよ、それはちょっと高過ぎやしないかい?」

冷や汗を流す父の反応などお見通しだったようで、末娘の身体が更に密着してくる。口調に甘えを重ね、頬を上腕部に擦り付けつつ父の金銭感覚を崩しに掛かった。

「でもその分すっごく良い生地使ってるし、来年も再来年もずっと着れるのよ?ね〜え〜、本当に可愛いのぉ。お父様もきっと気に入るわ。二人っきりでお出掛けする時に着て行きたいの。くるって回るとね、スカートがふわって広がるのよ。お父様にも見て欲しいわ。ね、お父様。お願いv」

殺し文句満載のおねだりに、ストレス過多から年齢以上に艶を無くしていた頬が一気に緩んだ。

二人っきりでお出掛け!
くるっと回ってスカートがふわ!

かわいい。
かわいすぎる!!

危うく鼻血を噴出しそうになって前屈みの体勢になる。傍から見たら危険なそのポーズも、一般の常識からは懸け離れた世界で大事に育てられた末娘には後もう一息の合図としか取れないようだ。
屈んだ頬にトドメのキスがちゅっと触れ。

ふにゃあ。

オルドレイクの観念が砂となり崩れた。

「買ってやるとも。何でも買ってやるぞ!明日は一緒にショッピングだ!」

「ほんと!?やったぁ!お父様だぁ〜い好き!!」

そうか、そうか!はっはっはっ!!

誇らしげに胸を張るオルドレイクだが、可愛い娘を満足させてやれる経済的余裕など実際には皆無だ。
一本三千バゥムの銘酒<初鶴>を通信販売で取り寄せる送料すら躊躇い断念し続ける万年貧乏。商才も生産能力も無い癖に末娘に強請られる度に高価なブランド品を買い与えてしまう甲斐性の無さも理由の一つであるのに。
(…そんな甘やかされた育ち方をした為にこの末娘は己が家庭が貧乏であることに気付いていない。おんぼろ屋敷も、物持ちの良い父親の変わった趣味だと思っている)

しかし、生贄にされると泣いて臍を曲げた末娘に「お前だけはぜぇっっったい魔王になんてやらないから安心しなさい」と必死になって宥めすかした記憶は新しく、もしここで約束を違えばその時の事も持ち出されて完全に信用を無くしてしまうだろう。

そんなことになったら生きていけない。
父としての威厳も自尊心もボロボロのオルドレイクが何とか己を保っていられるのも、この愛くるしく慕ってくれる末娘がいるからだというのに!

では、どうすれば良い!?

答えは簡単!世界を支配して金品共に潤ってしまえばいいのだ!!

「うおおお!カシス!父は、父は頑張るぞぉぉぉぉ!!!」

「きゃ〜、お父様素敵ぃ〜!」

闘志たぎらせる父に訳もわからずきゃらきゃら囃し立てる娘。二人から一歩退いて見守っていた執事が二人のおちゃらけた雰囲気に水を差す。

「で、儀式の責任者はどなたと致しましょうか」

正確にはオルドレイク一人を水浸しにしたのだが。
ガッツポーズのまま暫く無言で立ち尽くしていたオルドレイクだが、小さく吹き出したかと思うと、それは次第にはっきりとした笑いへと転じた。

「くくく。セバスチャンよ。案ずることは無い。要はやる気だ。人間、やる気次第で何でもできる」

「はぁ…」

くくくくくと笑い続けるオルドレイクが狂気の真っ只中にいることを知っているのは老年の執事ただ一人。

「おいたわしや…」

執事は再び涙を拭った。






                                           next